当時、米田さんは学校でもいじめにあっていました。原因は実母でした。
「母は私の仲のいい友達の親に『お金を貸してほしい』とお願いしてまわっていたのです。私は友達から『さっちゃんとはもう遊ばないように親に言われている』『あなた貧乏なんでしょ』と言われ、物を投げられ、無視をされるようになりました」
憧れていた生活が絶望に変わり、学校でもいじめにあい、生きていてもつらい…。
ある日、実母から「一緒に死のう」と言われました。
その言葉に、米田さんは命を絶とうと決意し、母親と2人で川に入り自殺未遂までしたこともありました。
そして、14歳のときに、実母からこう言われます。
「幸代、高校に行かないでプロレスラーになってお母さんを助けてほしい」

「母はとにかくお金がなかったから、私に働いてほしかったんだと思う。私はこのまま一緒に暮らしていると、“自分の人生が母親に食べられる”と感じました」
そんなとき、里親が別れる前にかけてくれた、ある言葉を思い出しました。
「困ったときは、学校の先生に『施設に入りたい』と言いなさい」
14歳の少女が、実母と離れる決断をし、中学校の先生に「施設に入りたい」と言うのに、どれほどの勇気が必要だったでしょうか。
切実な少女の訴えを聞いた先生は「その言葉を待っていたよ」と、米田さんを優しく抱きしめてくれました。
「『よく頑張った』と言いたい」

北海道の秋が深まりつつある10月下旬、米田さんと私は、北広島市の児童養護施設「天使の園」を訪れました。米田さんが中学校の先生に「入りたい」と言った施設です。
「施設は、初めて入る場所なのに、家に帰ってきたときホッとする感覚があって、毎食ごはんが食べられて、お風呂に入れて、部屋もきれいで、『私、もう頑張らなくてもいいんだ』と安心した」
当時の写真には、施設の先生や子どもたちとともに、笑っている米田さんが写っています。

しかし、実母との生活でつらい日々を経験した米田さんは、自己肯定感が低く、強い疎外感を感じていました。心の奥まで深く傷ついていたのです。
「なんで私は悪いことをしていないのに、普通の家庭に生まれなかったのか、どうしてこんなにつらい思いをしなきゃいけないのか。同世代の女の子たちはお金に困らず、食べたいものを食べて、着たいものを着て、おしゃれをしてうらやましい」
安心感は得たものの、集団生活に馴染むことができなかった米田さん。1人になりたくなったとき、いつも1台のピアノの前に座りました。
施設を再訪したとき、そのピアノがまだ残っていました。
「本当にあのとき頑張ったなって思い出しますね。あのときは、大人をあまり信頼できなかったので、安心できる場所を施設内で見つけて、自分の居場所を一生懸命作ろうとしていたと思う。もし当時の自分に声をかけられるのなら『ここまでよく頑張ったね。本当につらいことたくさんあったけど、よく頑張った』と言いたい」
記憶の底に眠っていたピアノに触れ、米田さんの目に涙があふれだします。