■シベリア抑留を体験した100歳との対話

神馬文男さん
「100歳だよ、100歳」

アリナさん
「100歳になりました?」


札幌に住む神馬文男さん。旧日本海軍の偵察兵として朝鮮半島で終戦を迎え、2年間シベリアに抑留されました。

神馬文男さん(99)
「僕らはね、毎回だまされる。嘘言われるのダモイ(帰国)だって。そして他のところに連れて行かれて仕事させられるわけさ」


帰国だと告げられ、着いたのは現在のパルチザンスクにあったラーゲリ。

マイナス30℃の寒さの中、森林伐採や石炭掘りなどの労働を強いられました。

そして、アリナさんの地元・ナホトカでは、帰国直前には、日本に共産主義を広める= 赤化教育のチェックが行われたのです。

神馬さん
「思想調査があるんだ。はっきり言えば、『共産主義万歳』『日本駄目』というようなことをしなければ『ダモイ、ニエット(帰国できない)』、スターリンの額があってね、スターリンの前で、スターリン万歳って、みんなで万歳やるのね」


アリナさん
「検査の結果に基づいて、ナホトカから改めてシベリアへ送られた人もいますか?」


神馬さん
「日本の船(帰還船)に乗ってから、ロシアのほうを見て『馬鹿野郎』と叫んだ日本人がいる。それは『ダモイニエット(帰国できない)』と」


アリナさん
「ソ連兵に捕まって…」


神馬さん
「そう戻された」


ロシアの大学で4年間、日本語を勉強したというアリナさん。

耳の遠い神馬さんのために、質問を紙に書き続けます。

アリナさん
「シベリア抑留者は主に日本に帰ったとき、日本の社会がだいぶ変わりましたね。神馬さんは日本に帰ったときそういう印象を受けましたか?」


神馬さん
「世の中が変わってこれはよかったな、僕はそう思ったんですね。戦争は命を奪う。命を奪った者が勝ちなんだ。とんでもないことだ」


1956年の日ソ共同宣言で、国交を回復した日本とロシア。

しかし、シベリア抑留の実態調査は進んでいません。

背景には、日ロ関係の悪化が横たわっています。

アリナさん
「今は日本とロシアのいろいろな政治的な問題で、この日ロ関係は盛んとは残念ながら言えないです。研究の分野もそうだし、亡くなったシベリア抑留者の遺骨の収集も中断になってしまいました」