20日に札幌地裁で開かれた母親の浩子被告の裁判で、修被告は黒のスーツ、紺のネクタイ、メガネをかけて、法廷に姿を見せました。

午前は、事件が起こる以前から、家庭内の日常生活において、娘の瑠奈被告に対し、母親の浩子被告とともに、どのような関わり方をとってきたかなどについて、修被告への証人尋問が行われました。
《田村瑠奈被告が家庭内で暴力を振ることも…》
■検察官「瑠奈被告が、あなたたちに暴力を振るうこともあったか?」
■修被告「子どもが親に振るう範疇の暴力はあったが、危険を感じるほどではなかった。瑠奈が苦しい状態になって、そのはけ口として暴力的な態度はあった、取り乱す感じ」
■検察官「あなたの首を絞めるという行為はあった?」
■修被告「相当興奮したときには、そういう態度もあった。意識が落ちるほどの強さではない。本人が辛いことの表れで、本人がどれくらい辛いかを共有しておかないと、火に油を注ぐことになるので」
■検察官「浩子被告に対しての暴力は?」
■修被告「家の中では、ほとんどカタコトのブロークンイングリッシュしか喋らないので、会話が噛み合わなくて、興奮して親子喧嘩のようなことはあるが、それを危険に感じて従っていたわけではない」
「一番信頼していた先生が頼みの綱だったが、先生が病気になってからは信頼できる人に巡り合えず」
《何を考えて、望んでいるのか…ほとんどわからない》
■検察官「浩子被告とは、(娘の瑠奈被告を)苦しめないよう、どうしたらいいか話し合っていた?」
■修被告「話し合っていたというよりは、親として自然に共有していた。瑠奈が何を考えていて、何を望んでいるかは、今もほとんどわからない」
「本人とは、噛み合わないことが多いので、見守る、様子を見る、ただ、落ち着いているときは、なるべく普通の生活をしてもらう。めちゃくちゃなことも叶えるのは趣旨が違う」
■検察官「瑠奈被告が何を食べたがっているなど、LINEでやりとりしていた?」
■修被告「必要なことはしていた。食べたがっている、欲しがっているではなく、あるときから家で作ったものを、ほとんど食べなくなり、本人が食べたいものを購入して食べていただく。あちこち走り回って買い集めたのではなく、仕事帰りにどこかによって買ってくる範疇。業務連絡ですね」
■検察官「興奮していたときに“してはいけないことだから”と言って、拒否したことは?」
■修被告「“これ以上生きていたくない、殺してくれ、お前の役目だ”などは、繰り返し言われたが、それは出来ませんと言っていたのは、お話していた通り。ほかにも“屋上で花火”は、それは消防署が来るからだめと…」
■検察官「興奮しているとき、言うことは聞く?」
■修被告「興奮しているときは、聞くときも、聞かないときもあるが、興奮が終わればゼロになる。“殺してくれ”“出て行ってくれ”と言われても、次の日に家に戻れば、普通の生活が出来る」