右半身不随の絶望 立ち直るきっかけとなった言葉

先輩からの言葉が立ち直るきっかけになったと語る畠中さん
「尊敬する芸術家の先輩が、それはすごいラッキーなんだと、病気したことが。その時、確実に右半身が麻痺していて、全く動いてなかったんですよ。一般の人が感じない感覚をいっぱい感じることができるんだから…それは芸術活動としては最高だって言い方をしてくれたんです。入院2日目ですよ。強烈ですよね」

 その言葉が証明するように、畠中さんにはそれまで思いつかなかったアイディアが浮かぶようになりました。寝たきりの女性が暮らす家の設計を手がけた際は、床をバリアフリーにするだけではなく、寝室の天井と壁の境目の角に窓をつけたり、吹き抜け天井の角を削ったり、壁に漆喰で波のような模様を描いたりしました。
建築家としてこれまで思い浮かばなかったアイデアが…
「太陽の光が動くにつれて、天井や壁に映る光の質が変わり、変化するようにしました。それは僕が半年くらいずっと寝たきりで『病院の天井ってなんの色気もないし、全然面白くないな』と天井ばかり見ていたことを思い出し『あ!』って気づいたんです」

適応障害からの復活 フルートが立ち直るきっかけに

 畠中さんは、リハビリで設計図も左手で書けるようになりました。
 次に襲ってきた試練は、身体の左右で全く違う感覚が襲う、理解しがたい“違和感”でした。
 入浴の際、左はちょうど良い湯加減なのに、右はやけどするような熱さを感じます。運動神経が麻痺しても痛みの感覚は残り、感じる範囲が狭いため、極端に熱く感じるためです。
 畠中さんはこうした適応障害に、もがき苦しみました。
左手で設計図も書けるようになったが…
「変な人が(自分の体の中に)入ってきた感覚なんですよ。動かない人が。僕自身が矛盾している訳じゃないですか。左手はできるけど右手はできない。感覚の洪水…情報の洪水にやられてしまって、それで適応障害になって、4年前苦しんだのですが…これはちょっとやばいなと思って。何かできないかなと思ったらフルート吹くしかなくて…」

左手だけですべての音が出せるフルートとの出逢い

 フルートは両手を使って演奏する楽器です。右手が使えないと、レ、ミ、ファとその周辺の半音を出すことができません。畠中さんは、初めのうちは左手だけで出せるド、ソ、ラ、シだけで演奏できる曲を探しました。しかし「もっと演奏したい!」という欲求と衝動から、1つでも出せる音を増やせないだろうかと考え、14歳の頃からフルートの調整をお願いしてきた、北海道長沼町の「山田ピッコロ フルート工房」の山田和幸(やまだ まさゆき)さん を訪ねました。
木材を削ってピッコロやフルートを作る職人山田和幸さん
 山田さんは、木材から削って木管ピッコロやフルートを作る、日本でも数少ない職人です。 
 名フルート奏者、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のヴォルフガング・シュルツさんも、山田さんのピッコロに惚れ込んだ一人です。
ヴォルフガング・シュルツ氏からの感謝の手紙
左手で演奏できる音が一音でも増やせないか…山田さんに相談
 そんな職人の山田さんにフルートやピッコロの製作を依頼すると、普通は3年待たなければならないところ、およそ1か月半で、左手だけで演奏できるオリジナルのフルートを作りあげました。少年の頃から交流する畠中さんの相談に応えたいという思いでした。
左手だけで全音を出せるフルート
  左手だけですべての音が出るフルート…畠中さんは驚きながらも、喜びをかみしめ、練習を重ねました。
山田さん「批評出来る立場じゃないが…今の音もとても素敵」
 まさに世界に1本のフルートです。普通は右手で奏でる音を、左手の小指と、わずかに動く右手の一部を利用して出す仕組みです。左の小指を動かすと一緒に動いてしまう薬指をしばって練習したり、左右の肺の力の差でまっすぐ息を吹き出せないハンデを、口の位置をずらす独自の呼吸法を編みだしてカバー。ついに畠中さんはどんな曲でも吹ける技術を習得しました。
 力強く技巧的だった以前の演奏スタイルから、楽器全体に呼吸を響かせながら繊細な音を奏でる新たな演奏スタイルを開花させました。
フルートを演奏する畠中さん