
札幌在住のフルート奏者、畠中秀幸さん(はたけなか・ひでゆき・53歳)は今年7月、札幌コンサートホールKitaraで「左手だけ」のコンサートを開きました。
両手で演奏し、大型のチューバに匹敵する肺活量が必要なフルート。しかし、42歳で襲った脳内出血で、利き手の右手がほとんど動かなくなり、肺の力も以前の半分ほどしかありません。右半身麻痺の障害を乗り越えて演奏し、拍手喝采を浴びた、復活の軌跡に迫ります。
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2022年初夏。畠中さんは、札幌の隣り、恵庭市にある教会「日本基督教団 島松伝道所」に向かいました。赤い三角屋根に白い十字架が立つ、築年数およそ70年の古い教会です。この日は外壁工事の打ち合わせがありました。
畠中さんの職業は、建築家。建築専門誌「ART BOX IN JAPAN 現代日本の建築 」で「現代を代表する1人」と紹介されています。
教会の中へ入ると、梁が剥き出しになった高い天井が荘厳な雰囲気を醸し出していました。
この教会は2008年、老朽化で建て替えが検討された時期がありました。当時、牧師夫婦から設計を依頼された畠中さんは、下見した際、低い天井を見るなり「天井抜きましょう」と言いました。そうすれば、屋根を支える梁が現れ、音響が格段に良くなるからです。


9歳からフルートを習う畠中さん 京都大学で建築を学ぶ
畠中さんがフルートを習い始めたのは9歳の時。当時はまだ子ども用のフルートはなく、音感を養うため、リコーダーからスタートしました。その後レッスンに励み、北海道トップクラスのコンクールで中学3年から3年連続で優勝、輝かしい成績を収めました。その一方で建築にも興味を持ち、進学した京都大学で建築を学びました。
大学卒業後は札幌に戻り、就職した設計会社で「札幌ドーム」の設計にも携わります。その後独立し、建築と音楽のプロデュースを手がける事務所を設立。また地元のプロとアマチュアの演奏家をつなぐ「北海道吹奏楽プロジェクト」をプロデュース、学校の吹奏楽部も指導しました。
建築家と音楽家…二足のわらじの活動を精力的にこなしていた畠中さん。42歳の時、転機が訪れました。

演奏会のリハーサルで指揮をしていた畠中さんは突然、倒れます。
「頭の中で何かがバチンと弾ける音がした」とのちに振り返ります。脳内出血で左脳の血管が6センチ裂け「右半身不随」の障害が残りました。まったく動かない右半身…。
「もう何もできない」と絶望していた時、見舞いに訪れた友人の「予想外の言葉」が、その後に進む方向のヒントとなりました。