戦友の骨はオオカミに
帰国後、シベリアでの経験を生かして自動車整備工場で働き、その後、銀行に勤めた長澤さん。
Qシベリアでの経験はその後の人生にどんな影響を与えた?
(元日本兵 長澤春男さん)
「ない。(シベリアでは)プラスにもマイナスにもならないように努力していたから。あれは二度と繰り返したくない」
長澤さんにとってあの抑留は、誇りも何もかもかなぐり捨て、心を無にして生き抜いた3年だったのです。

13日、愛知県春日井市で開かれたシベリア抑留を伝える展示会に、長澤さんの姿がありました。
(元日本兵 長澤春男さん)
「死んだ仲間(の骨)は全部空っぽ。みんなオオカミに食われちゃって。何もないんだよ。戦友が(夢に)出てくるから申し訳ないという感じ」

この日、長澤さんはシベリア抑留の語り部として40分間の講演を任されました。
(元日本兵 長澤春男さん)
「1日(3食分)でパン1個だけ。どうやって耐えられる?本当に苦しかった。黙ってごまかしていたけれど、実は陰で、自分が向こうの人(ソ連軍)に一生懸命にお願いしてそれで食料が増えた。そういう苦労があった。戦争だけは皆さん絶対に賛成してはいけない。お願いします」


約80人を前に、これまで誰にも話さなかった「土下座の話」についても語った上で、悲惨な戦争は2度と繰り返してはならないと、力強い口調で何度も訴えました。
「120歳まで生きるよ」
(来場した女性)
「平和ほどの宝はない思いました」
(来場した男性)
「戦争は何が何でも絶対にやってはいけないと身にしみて思いました」
(来場した小学生)
「伝える人がいなくなって、戦争の怖さがわからなくなるのはいけないと思いました」

(元日本兵 長澤春男さん)
「シベリア抑留の話をする人は(他に)いるのかなと思って。俺の戦友はみんな死んじゃっておらんから。続けられるだけ続けていきたい。だから120歳まで生きるよ」










