
マイナス40度…栄養失調で亡くなる仲間
冬はマイナス40度にもなるシベリア。長澤さんは自動車修理工場で働かされることに。命の危険と隣り合わせの現場で、1日の食事は硬いパンのみ。それもわずかな量で、栄養失調で亡くなる仲間もいたといいます。
(元日本兵 長澤春男さん)
「通訳がいたけどまともじゃなかった。自分の都合の良いことばかり話す。どんなことを言っているのか?と思って腹が立ってしょうがなかった。俺の隣で寝ていた人が満州鉄道の職員だった。その人がロシア語ペラペラで、ロシア語教えてくれと(お願いした)」
生き抜くために3か月ほどで必死にロシア語を覚えた長澤さん。21歳で工場にいた300人の日本兵を束ねる役割に抜擢されました。そして、ある行動に出ます。

(元日本兵 長澤春男さん)
「とにかく(みんなの)食糧がないから、増やしてほしいと頼んだんだ。何でもやりますからとお願いして土下座した」
ソ連兵に土下座をして頼んだことで、支給されるパンの量は増やされ、飢えで亡くなる仲間も減りましたが、この事実は当時の仲間にはもちろん、帰国後も誰にも話してきませんでした。
Q土下座は日本兵として許せなかった?
(元日本兵 長澤春男さん)
「(ソ連兵は)見たことないらしい。(ソ連軍に)お前本当に兵隊か?と言われた。だから(仲間には)言わなかった」
仲間たちを守るためとはいえ、敵兵に土下座までした屈辱は、決して明かすことはしませんでした。











