なぜ…28年間生き抜くことが出来たのか?

帰国会見に臨む横井庄一さん

横井庄一さんは帰国会見でこう言った。

「恥ずかしながら生きながらえておりました」

そして「恥ずかしながら」は、1972年の流行語となった。「生きて恥ずかしい」と言わざるを得ない悲しさ…。

28年もの間ジャングルに潜伏していた代償は大きく、国立東京第一病院に即入院したわけだが、期間は84日間におよんだ。

去年秋、妻の美保子さん(94)の委任を受け、筆者は診療記録を病院側に開示請求。

横井さんの当時の体内の様子と精神面の揺れ動きを、200枚以上のカルテから目にすることとなった。

2021年秋に「診療カルテ」が見つかる

生き抜くことが出来た3つの理由

カルテには、横井庄一さんがジャングルで生き抜くことが出来た3つの理由が書かれていた。

その理由の一つは「素質的に要求水準が低いこと」ということだった。

「欲深い人」は、孤独なジャングルで「ああしたい」「こうしたい」「これがほしい」「あれがほしい」がついつい出てきてしまう。

何もないところから生きる術を手に入れ、生活していくことは出来ないのだ。

国立国際医療研究センター病院から、私たち取材班の元に届いたものが、さらにある。

横井庄一さん入院中の「看護記録」

それは横井庄一さんの入院中の看護記録。膨大な量だった。

500枚の「看護記録」から見えた本音は?

およそ500枚。

横井庄一さんの病室で、入院中の様子を逐一看護師はチェックしていた。

今回改めて、妻・美保子さんの委任を受け、開示請求をさせていただいた。

横井庄一さんは84日間、一番近いところにいた看護師たちにどんな本音をもらしていたのだろう?

去年届いたカルテの中には「医師に見せる顔と看護師に見せる顔が違う」という表記があったが、こちらも、この50年で初めて明らかになる看護記録。

いったい何が見えてくるのか?

妻・美保子さんのお許しを頂き、その中身の一部をご紹介したい。

「看護記録」には何が書かれていたのか