“仲間の最期” 遺族に伝えるため

(幡新さん)
「(グアム島で)昭和19年のいつに部隊の誰がどこで亡くなったか、どこで生き別れたか、そういう記録」

横井さんはグアムの戦いでの仲間の最期がどうだったのか、遺族に伝えるため記憶をたどって記していたのです。帰国会見の日も、その思いは伝えていました。

(横井さん 帰国後の会見)
「私の知っている範囲で、遺族の方を訪問させていただいて、グアム島であなたの所の息子さんは大体こういう所で死んだんだろうと…」

“平和の尊さ”を伝え続けるという横井さんの思いは遺言にもなり、妻・美保子さんが「語り部」として長年つないできました。

横井さんが亡くなった9年後。美保子さんは自宅を一部を改装し「横井庄一記念館」としました。