一家で満州へ渡るも10歳の時に家族全員死亡

満州での過酷な戦争体験の意味を学び直している人もいます。
名古屋市に住む橋本克巳さん(86歳)。2022年春から高年大学で世界の食糧事情など国際問題について勉強しています。
戦争の語り部として、各国の歴史や文化などを学びながら、世界で起きている紛争の要因について知っていきたいと考えたのです。
橋本さんは7歳の時、「夢の開拓地」だと国から促され一家7人で満州へ渡りました。侵略によって建国した満州国の支配を継続するため、軍部が大量移住を進めた「満蒙開拓団」です。

満州に用意されていた畑は、現地人からタダ同然で取り上げたもので、侵略の一端を担っていたことは帰国後に知りました。
終戦を迎えると状況は一変します。
(満蒙開拓団だった 橋本克巳さん)
「金を取られ、物を取られ、食料を取られ、もう最後は命を取られるという段階まで来た」
現地の中国人や、ソ連兵から逃避行を続ける日々。

さらに終戦翌年の夏、伝染病のチフスが一家を襲い、父と母は1時間違いで他界。1か月で家族7人を失い、残ったのは10歳だった橋本さんただ1人。その年、ようやく日本へ帰国できました。
日本は加害者と被害者…両側面をありのままに語り継ぐ

帰国後は「戦争孤児」といじめられ、自分も加害者だった事実が嫌で体験を長年話せずにいました。
しかし、憲法9条改正を政府が打ち出すようになったことをきっかけに、平和への危機感を持つようになり2015年から意を決して語り部の活動を始めました。

戦争では日本人も悪いことをした面があり、戦争の被害だけを語るのは正しいことではないと考えています。
ある日、橋本さんはふるさとの新城市にある公民館で開かれた語り部の会を訪れました。新型コロナの感染拡大で2年ぶりの開催です。
(満蒙開拓団だった 橋本克巳さん)
「10歳そこそこの頃に、銃口を額に突き付けられて『金を出せ』と言われたこともあります。これで私の一生は終わるのかと恐怖を通り越して、恐ろしさを味わってまいりました」

開拓という名目でこの地に渡った日本人は、現地の人から見れば侵略者。
積年の恨みから戦後は復讐される番になった事実から目を背けず、被害者であり同時に加害者でもあった戦争のことを約50人の前で語り切りました。

橋本さんは、世の中がどんなに変化しても自分の平和に対する思いを生涯かけて語り継いでいこうと考えています。
CBCテレビ「チャント!」8月12日放送より