そもそも「連続企業爆破事件」とは?

仕事終わりの会社員らでにぎわう、東京丸の内。
50年前、この場所にあった三菱重工ビルが爆破され8人が死亡、380人以上が負傷しました。

1974年8月 警視総監(当時)
「時限爆弾と思われる爆発物が爆発した」
この事件を発端に11件、相次いだ企業爆破事件。

犯行に及んでいたのは過激派「東アジア反日武装戦線」です。
当時、大学生だった桐島容疑者もこの組織のメンバーで、1975年4月、東京・銀座のビルにあった「韓国産業経済研究所」の入り口ドアに手製爆弾を仕掛け、爆発させたとして、指名手配されていました。

元警視庁捜査員 戸島国雄さん
「現場は戦場のようだった。時間が経つにつれ、ガラスがひらひら落ちて、二次被害が大きかった」
元警視庁捜査員の戸島さんは当時、複数の現場で鑑識作業に当たりました。

元警視庁捜査員 戸島さん
「丸い爆発した缶の跡が残っていたが、何が爆発したのか、何が目的なのかわからなかった。それが第一印象。火薬が何でできているのか研究した。身近なもので、ああいう爆弾ができていた」
これは「東アジア反日武装戦線」のメンバーがアジトにしていたと見られるアパート。
作りかけの爆弾などが見つかっていて、床下には大きな空間も確認できます。

メンバーらは秘密の地下室を作り、爆弾を製造するなど、周到に計画を準備していたとされています。
元警視庁捜査員 戸島さん
「人数は少ないが広範囲に動いていたので、なかなかおさえられなかった。隠密というか静かにやっていた」

一連の事件では1975年に容疑者8人が一斉逮捕されています。
戸島さんは、桐島容疑者が半世紀にわたり逃亡し続けられた背景をこう分析します。
元警視庁捜査員 戸島さん
「追われる身は毎日服装を変える。自分の普段の生活習慣を変えて、人相は同じでも風体を変えて、くせを変える」