求めているのは、ぜいたくなもの?

HBC報道部の泉記者は、こころが男性どうしのふうふの間に宿った新しい命を見つめる連載「忘れないよ、ありがとう」を執筆するなど、「性の多様性」について複数の当事者を取材してきました。

生まれた「戸籍の性別」と、自分がこうと確信している「性自認」が一致しない、「トランスジェンダー」の当事者にも取材する中で、今回の裁判について、2つのポイントがあると考えています。

まずは、「持ちものが少ない」ということ。

泉記者は、この裁判をめぐって、「性別を変えたい」という思いに対して「特別なものを求めている」「ぜいたく」という見られ方をしている側面があると指摘します。

しかし、「ぜいたく」なのではなく、ほかの人は「当たり前に持っている」ものを、持つことができていないのだといいます。

この持ちものとは、「権利」とも言えます。
泉記者は、「子どもを産み育てる権利、学校に通って勉強をする権利など、当たり前に持っているべき権利を、持てていない人がいる。性に違和感を抱えて生きてきた人たちの中には、コミュニティの中で生きにくくなってしまって、学校や仕事に行けなくなってしまったり、戸籍の性別を変えることと引き換えに、法律によって手術を迫られ、子どもを産み育てる権利を捨てることになってしまったりする」と話します。