◆江川卓も止めた! 「迫田マジック」とは

緻密な作戦で強者を圧倒する戦いは「迫田マジック」と呼ばれ、高校野球界での存在感は絶大だったそうです。監督として出場した1973年のセンバツ甲子園準決勝で、相手は作新学院の江川卓投手。すさまじい投手だという評判で、実は甲子園に出場が決まる前、半年も前から「当たったらどうしようか」と、“江川練習”と称して毎日1時間対策をやっていたそうです。

そしてこの試合、たった2安打で2対0で勝ってしまうんです。その攻略方法がラジオ番組では詳しく語られていて、とても面白かったです。江川さんの連続無失点記録を139回で止め、1対1で迎えた8回2アウト1・2塁からダブルスチールをかけて、相手捕手の悪送球で決勝点を奪っています。

つまり、打てないのであれば、塁に出てミスを誘って点を取れば勝てるんじゃないか。その通りに勝ってしまった。これが「迫田マジック」と言われるゆえんです。

◆弱小野球部の監督として

2019年に80歳になったあとも、竹原高校野球部を率いました。選手は11人しかおらず、その中には野球初心者もいました。まさに日曜劇場『下剋上球児』みたいな学校だったのですが、2022年の広島大会でベスト16に躍進させました。

坂上アナ:そして2019年。80歳にして竹原高校野球部監督に就任した。竹原高校は全校生徒およそ150人の、小さな県立高校だ。就任初日、あらかじめ覚えてきた一人一人の名前を呼び、選手との距離を一気に縮めた。当初の合言葉は「コールド負けをなくそう」だったそうだ。迫田監督は、吉本陸翔投手にも大きく影響した。

吉本投手:僕は、野球というのはホームランやヒットをたくさん打って点を取るものだと思っていたんですけど、監督さんの野球は点を取るんじゃなくて「守りに行く野球」。0点で抑えたら絶対負けはないじゃないですか。そういう考え方に変わりました。

坂上アナ:新型コロナの影響で部員とのコミュニケーション不足になる中、ラインを使って部員とコミュニケーションを図ったり、長女のサポートでYouTubeで技術論を発信したり、今の子供たちに合わせた指導方法も採り入れた。

迫田監督:市民は「早く勝ってほしい」というのがあるんですけど、「まあ、もうちょっと待ってください。まだ難しいですから」と。ますます私のプラス志向が強うなって。「グラウンドの上で死にたい」と言いよったのが実現できるのじゃないか、と思うてね。ものすごく自分で楽しんどるんですよね。

◆書籍とYouTubeで知る名将の言葉

『最後のマジック』には、竹原高校で甲子園に出場するという目標を立て、これを叶えようとする監督の姿が書かれています。1年生大会で優勝を果たし、この夢は生徒たちに引き継がれるのでしょうけど、「生涯野球監督」であることは達成しているわけです。

子供たちは本当に慕っています。監督は私(神戸)の父親と同い年です。その世代が、私の子供より若い年齢の高校生を指導してきたというのはすごいこと。本当に生きる『下克上球児』の監督みたいな方だったんじゃないか、と思います。

『83歳、最後のマジック 生涯野球監督 迫田穆成』(ベースボールマガジン社、税別1800円)は、迫田監督のドキュメンタリーを制作して、文化庁芸術祭賞大賞を受賞したRCC中国放送の坂上俊次アナウンサーさんの著書です。

◆神戸金史(かんべ・かねぶみ)
1967年生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件や関東大震災時の朝鮮人虐殺などを取材して、ラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。近著に、その取材過程を詳述した『ドキュメンタリーの現在 九州で足もとを掘る』(共著、石風社)。