高校野球界の名将で、広島県立竹原高校野球部監督の 迫田穆成 さんが、亡くなりました。84歳でした。
迫田さんは、1957年に広島商業の選手として甲子園優勝を果たし、1973年夏には監督として母校を日本一に導きます。
1993年には如水館高校の前身となる三原工業の監督に就任。如水館を8度も甲子園に出場させ、強豪に育て上げました。
緻密な作戦で強者を圧倒する戦いは「迫田マジック」と呼ばれ、高校野球界での存在感は絶大でした。
2019年に80歳になってからも、竹原高校野球部を率いチームを短期間で強化。2022年には、広島大会ベスト16に躍進させました。
しかし、この秋以降、体調を崩し、1日朝、帰らぬ人となりました。死因は、すい臓がんでした。
竹原高校 梶白博志 校長
「11月中旬に校長室で生徒のことや今後の練習試合のことなど、楽しそうに話してくれていた。体調が悪いとはうかがっていたが、まさかという感じ。(野球部員は)迫田監督を慕って本校に入学した生徒たちなので、涙ぐんだりしていて、そのショックは計り知れない」
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