関西が今年イチ熱くなった史上初の阪神とオリックスの優勝記念同時パレード。通りの奥まで埋め尽くした多くの人たち。11月23日の午前と午後に大阪・神戸で行われた2回のパレードで声援を送ったのは、計約100万人でした。そこには秘められたたくさんの思いがありました。

「愛日小学校のことを言うてた」横断幕で岡田監督に声援を送った同級生たち

 大阪のパレード出発地点のすぐ西側の地は、阪神・岡田彰布監督の母校「大阪市立愛日小学校」があった場所です。

 (阪神タイガース 岡田彰布監督 11月23日)「なんでここからスタートするのかなと考えていたんですけど、この右は60年前に6年間通った僕の小学校なんです。ここで6年間、小学生生活を過ごした地なので、今回こういう形でここからスタートするということは非常に光栄に思うし感無量の気持ちでいっぱいでいます」
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 その場所から声援を送っていたのは岡田監督の小学校時代の同級生たちです。1957年(昭和32年)、大阪の玉造で生まれた岡田監督。子ども時代から「ただものではない」少年だったといいます。同級生たちに話を聞いてみました。
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 「ものすごくスポーツ万能。走っても速い」「投げても、跳んでも」「勉強もできましたよ、彼は」

 都会の中にあった小学校。校庭でする野球は軟式のテニスボールを手で打つというものでしたが、岡田少年について同級生は次のように語ります。

 「結構飛ぶどころか別格です」「校舎の3階に当てたりね。一般人は全然、そんなの届かないですけども」

 その後、大阪市で最も古い小学校だった愛日小学校も児童数の減少で1990年に廃校に。そんな同級生たちにとって岡田監督の存在は特別でした。

 「岡田君がおらんかったら、愛日小学校はもうなくなってそれで(つながりも)終わりやったもんね」
 「小学校って同窓会ないところ多いもんね」
 「たぶん、もうこれだけずっと続いてるのってないんちゃう、この学年くらいしか」

 感謝の気持ちを込めて準備したのが「岡田彰布監督日本一おめでとう!」の横断幕。
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 パレードが始まると、岡田監督はうれしそうな顔で横断幕を掲げた約30人ほどの同級生たちに向かって手を振っていました。同級生たちも満足げな表情です。

 「やってよかった」
 「よかったよな」
 「わかってたよ、わかってたよ。全部気付いてる、気付いてる」
 「両手で手を振ってくれていました」
 「あんなところで気をつかってあいさつしてくれた」
 「愛日小学校のことを言うてた。『私事ですが』と。『この思い出の場所で』と。準備してよかったです。これだけ同級生も集まってるんやし、本当によかったです」