「自分だけ生き残ってしまった」

RSKイブニングニュースでは、語ることのできる人が少なくなっている戦争証言をお伝えしています。きょうは自ら志願して広島県の海軍に入った100歳の男性です。

自身は情報が遮断された基地の中で終戦を迎えました。男性は、戦後に仲間の死を知り、「自分だけ生き残ってしまった」という苦しみにさいなまれたといいます。緑内症にかかり、現在は目が見えない状態ですが、その思いを切々と語ってくれました。

海軍に志願「軍隊を嫌う人は笑われ者だった」

(川畑章さん・100)
「動けるものは、みな軍隊にとられとる時分でしたからな。20歳の徴兵でどうせ行くんなら、志願して早く行って幹部になりたいなと思って…」

「軍隊を嫌う人は笑われ者だった」

岡山県備前市に暮らす、100歳の川畑章さんです。

太平洋戦争が始まった翌年の1942年、19歳の時に志願して旧日本海軍に入りました。向かったのは、当時広島にあった呉海兵団です。

嫌だった『軍人精神注入棒』そして情報を遮断された環境

川畑さんはアメリカ軍の爆撃機を監視する部隊に配属され、兵士の健康管理やケガの手当てをする衛生兵になりました。

(川畑章さん・100)
「入団してから教育を受けている時分が、一番辛かったです。ミスをしておしりを棒で叩かたりすることがよくありました。『軍人精神注入棒』というのがあった」

情報漏洩を防ぐため、家族とのやり取りも厳しく制限された海軍。基地に、新聞やラジオはなく、孤立しているような状態でした。

(川畑章さん)
「戦争に行っている感じも、大きくなっているだろうと思うんですども、別に大した感じはしとりませなんだからな」