歌舞伎俳優の市川猿翁さんが、9月13日(水)に、不整脈のため亡くなったことを、松竹が公表しました。 83歳でした。
なお葬儀は、親族葬にて執り行われ、後日、お別れの会が催されるということです。

市川猿翁さんは、香川照之さんの父で、市川團子さんは孫にあたります。
この日、市川中車(香川照之)さん・市川團子さんのコメントも発表されました。

市川猿翁さん





市川猿翁さんは、三代目市川段四郎の長男。
昭和22(1947)年1月東京劇場『二人三番叟』の附千歳で三代目市川團子を名のり初舞台。
昭和38(1963)年5月歌舞伎座『吉野山』の忠信、『黒塚』の鬼女などで三代目市川猿之助を襲名。
平成24(2012)年6月新橋演舞場『口上』、7月新橋演舞場『楼門五三桐』の真柴久吉で二代目市川猿翁を襲名。

昭和43(1968)年4月国立劇場『義経千本桜 川連法眼館』で、狐忠信の宙乗りに挑み、ケレンの芸の復活は大きな話題を呼んだ。以後、宙乗りを数々の作品に取り入れ、5000回を超える偉業はギネスブックにも登録されている。

『加賀見山再岩藤』、『伊達の十役』、『當世流小栗判官』、『獨道中五十三驛』などをはじめとする復活通し狂言、古典の新演出、新作の創造に意欲的に取り組む。「スピード」「ストーリー」「スペクタクル」の3Sを重視して、現代に生きる歌舞伎を探求する姿勢は、昭和61(1986)年スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』に結実。『オグリ』、『新・三国志』シリーズなど数多くの作品を創り上げた。活躍の場は国内に留まらず、海外においての歌舞伎公演またオペラの演出にも及ぶ。

昭和39(1964)年に「猿翁十種」、昭和50(1975)年に「澤瀉十種」(※「澤瀉」の「瀉」のつくりは、正しくは“わかんむり”)、昭和63(1988)年に「猿之助十八番」を家の芸として制定。平成22(2010)年にはこれまでの創造活動をふまえて、新たに「猿之助四十八撰」を制定した。
最後の舞台は平成25(2013)年12月南座『襲名披露口上』。

昭和51(1976)年度芸術選奨新人賞、昭和62(1987)年フランス文化芸術勲章オフィシエ、平成元(1989)年芸術選奨文部大臣賞、平成6(1994)年外務大臣表彰、平成12(2000)年紫綬褒章、平成22(2010)年文化功労者。

【 市川中車さん コメント 】

市川中車さん




9 月 13 日、父、二代目市川猿翁が天命を全う致しました。
長く険しく、それでも「夢」に邁進した歌舞伎俳優人生でした。
一生涯をかけて、新たな道を切り開き、如何なる時も、天翔ける心を持って、成し遂げた俳優だったと思います。
多くの人々に愛され、自らの歌舞伎道を全う出来たことは、本当に幸せなことだったと思います。
皆様、これまで父を愛してくださいましたこと、誠にありがとうございました。
心より厚く御礼申し上げます。

九代目 市川中車

【 市川團子さん コメント 】

市川團子さん




私にとって祖父は偉大なる存在で、目指すべき目標でした。
まだまだ教えてほしいことがたくさんありましたが、とても残念でなりません。
この先は、祖父が大切にしていた「天翔ける心」「夢見る力」を忘れずに、精進して参りたいと思います。
今後ともご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げます。

五代目 市川團子


【担当:芸能情報ステーション】