「栃尾の美味しいご飯をいっぱい食べられたり、こういう交流の場もあって…最初緊張したんですけど、温かく迎え入れてくれて嬉しかったです」
家老さんは30代の頃、国際農業者交流協会の欧州支部長としてドイツに駐在し、2011年までの12年間は長岡市議を務めました。

そんな家老さんが『UNE』の設立に至ったのは、市議だった2004年に直面した中越地震がきっかけでした。
「避難所の小学校の近くに住んでいたので…それから3日間、避難所を開設して運営するために、ずっと避難所にかかりきりだった」
その時に気付いたのは、様々な事情で避難所へ行けず、行政の支援の手からこぼれ落ちてしまう人たちの存在でした。
「認知症を患っているおばあちゃんと介護している40代くらいの娘さんが『逃げてもばあちゃんがいる場所がないからここにいるんです』と、電気もガスも水道も止まっている自分の傾いた家にいたのを見て…。結局、本当に弱い人たちに対しては支援の手が伸びていなかったな、と」

身近にいる人たちにだけでもなんとか手を差し伸べたい。
家老さんはそう決意して、2011年に一之貝集落で『UNE』の活動をはじめました。














