戦時中、長野県天龍村には外国人捕虜の収容所がありました。
およそ80年の時を経て、イギリス人の元捕虜の家族が村を訪れました。


信州最南端の天龍村。

天竜川をせき止めて作られた古いダムがあります。

山あいのこの村に、14日、イギリス人の家族が訪れました。

夫と娘とともにやってきたイギリス人のキャロライン・タイナーさん。


キャロライン・タイナーさん:
「父は駅で働かされていて、セメントのバッグを下ろしたり、それを混ぜたりする仕事をしていました」

父、チャールズ・ウイリアムズさんは、1941年、太平洋の島で日本軍の捕虜となりました。

その2年後、天龍村の満島(みつしま)収容所に移され、300人以上いたほかの捕虜とともに、平岡ダムの建設作業などを強いられました。


収容所があった場所は中学校のグラウンドになり、その一角には、当時作業中に病気などで亡くなった仲間の捕虜の慰霊碑が建てられています。

キャロラインさん:
「父の足跡をたどってこの場所に来られたことを、とても嬉しく思っています」

今回の旅では、当時、ダム建設現場の班長だった原田源燈(げんとう)さんの家族と面会。


父親が帰国する際に記念に贈られたというはんてんを、およそ80年ぶりに家族に返しました。

一家はこのあと、父親が最初に送られた香川県の収容所の跡地などを巡ることにしています。