2001年の年末、日本のEEZ内で発見された不審な漁船が銃撃戦のすえ自爆しました。翌年引き揚げられたこの船からは、北朝鮮による工作を物語る数々の証拠が発見されたのです。振り返ってみれば、この事件こそがその後の日朝関係を決定づけたのかもしれません。
(アーカイブマネジメント部 疋田 智)
不審船を逃すな
2001年12月21日、奄美大島の沖合、日本のEEZ内で、自称・中国船籍の漁船が発見されました。海上保安庁は、正午すぎに英語、中国語、韓国語、日本語の4か国語で停船命令を出します。ところが、漁船はこれを無視。そのまま猛スピードで逃走を試みました。

巡視船はまず上空への威嚇射撃をします。それでも逃走する不審船に対して3時間後に威嚇射撃。あくまで停船させようとします。
すると不審船はマシンガンやロケットランチャーで必死の反撃を試みたのです。

この反撃で海上保安官3名が負傷。そこで海保側はやむなく正当防衛射撃に出ました。

自爆、沈没。引き揚げた不審船から「出るわ出るわ」
すると、その4分後の22時13分に、船は謎の爆発を起こしたのです。不審船の乗組員たちは海上に投げ出されましたが、救助の浮き輪を拒否して、8人全員が死亡しました。
遺体のライフジャケットに書かれたハングルだけが、事件の手がかりとなりました。

事件が起きた2001年は、小泉政権が発足した年であり、当時の北朝鮮の最高指導者・金正日総書記の長男・金正男氏が偽造パスポートで日本に密入国した直後でした。もちろん北朝鮮は一貫して「知らぬ存ぜぬ」で通します。
そこで日本政府は翌年、沈没した不審船を引き上げたのです。

船からは出るわ出るわ、不審船は「これぞ北朝鮮の工作船」という証拠のカタマリでした。
横浜の資料館には今も展示されて
その船体と証拠物は、現在も海上保安資料館横浜館に展示されています。

工作船の全長はおよそ30メートル、船倉からはカラシニコフAKS-74、対戦車ロケットランチャー、ロシア製対空機関銃、携行型地対空ミサイルなどの武器が「星とハングル」の刻印とともに見つかりました。
金日成バッジも同時に発見されています。

しかも、この工作船、4機のスクリューと4機のエンジンを持ち、通常の漁船の10倍のパワー(スピードは2倍)を持っていました。
また、内部には上陸用の高性能小型艇(最高時速90km/h)も格納していたのです。
