衝動的に上がった日銀岡山支店の屋上

終戦から約2か月後。久しぶりに日銀の屋上に上がった吉田さんは、衝動的にある行動に出ました。

(吉田堅さん)
「焼け跡を見て『これはすごいな』。それまで屋上や高いところから焼け跡を見ていなかったものですから。『これは残しておかなきゃいけない』と思って」


「(私は)ずっとカメラをやっていて、戦争末期はほとんど写していない。ただ、フィルムが残っているのが2枚だけあった。それで2枚写したんです」

吉田さんが写真を通じて今を生きる私たちに伝えたいこと

もともとカメラが趣味だった吉田さん。以降、岡山を離れる1951年まで毎年、同じ場所を写真に収め続けました。

(吉田堅さん)
「予想外に復興がいい方向に、早く発展したという気持ちは持っています」

(吉田堅さん)
「負けたときには『なかなか元には戻らないな』という考えが強かったですけど、やはりみんなの気持ちが強かった。『早く立ち直らなきゃ』という。負けたときはそんな元気があるとは思っていなかった。『みんな何もしなくなってしまうんじゃないか』と思ったけど…」

戦争中、ずいぶん苦しい思いをしたから、『少しでも早く楽な生活に戻りたい』という個人個人の気持ちの塊が中心じゃないでしょうかね…」

戦後、少しずつ立ち直っていく岡山の姿に吉田さんは…。

(吉田堅さん)
「『(岡山に)いい仕事が広がるように』ということを願っていたのが、次々と実現しているのがうれしい。続いてほしい」

戦争の記憶を残し続けるためカメラを構えた吉田さん。写真を通じて今を生きる私たちに伝えたいことがあるといいます。

(吉田堅さん)
「『どういう気持ちで撮ったか』ということを考えてくれる人もいるだろうし。『戦争ほど嫌なものはない』と。『どんな理由があっても、武器を持って戦う戦争には絶対反対するべきだ』というのが守ってほしい気持ち」