今から30年前、一つの時代を象徴する空前絶後の事件が起きた。「自民党のキングメーカー」として君臨していた金丸元副総裁が、東京地検特捜部に電撃的に逮捕されたのだ。「政界の最高実力者」が一転して、刑事被告人となった。ロッキード事件以降、鳴りをひそめていた「大物政治家」の摘発。
当時、地に落ちていた特捜部への「信頼」は、一発逆転で「回復」を果たした。報道各社には一切、事前に情報は漏れなかった。威信を賭けた「極秘捜査」はどう進められたのか、実はあのとき・・・当時の関係者が取材に応じてくれた。筆者の取材メモと突き合わせながら、何が起きていたのか、あらためて振り返る。
<全10回( #1 / #2 / #3 / #4 / #5 / #6 / #7 / #8 / #9 / #10 )敬称略>
土曜夜に「呼び出し連絡」
1993年3月6日土曜日、午後8時頃、筆者は自宅で風呂に入っていたとき、ポケベルが鳴り、「東京地検が記者会見をする」という呼び出しの連絡を受けた。
土曜日の夜に東京地検が、いきなり記者会見をすることは異例中の異例。とてつもない大事件か、検察内の身内の不祥事以外ありえない。しかも東京地検から司法記者クラブ幹事社への連絡があったのは記者会見のわずか1時間前。電話の直後から「なにごとか」と必死に考えを巡らせながら、冷静さを保つよう自分に言い聞かせた。タクシーの中で、直近の東京地検特捜部の幹部や検事の言動を振り返り、関係者にやみくもに電話をして内容を探ったが、まったく情報を掴むことはできなかった。一大事であることは間違いないが、もしTBSだけが知らない事件の発表だとして「他社に抜かれたら」大変な「特オチ」となってしまう。
そして8時50分に緊急の記者会見開始、検察庁11階の東京地検次席の応接室で、広報担当の次席検事が開口一番こう述べた。「本日、金丸信と生原を逮捕しました」…静かな口調だったが、まさかの「政界のドン」「キングメーカー」金丸元自民党副総裁の逮捕、、、、驚愕の発表に記者らは騒然となり、筆者も卒倒しそうになった。
いったい何が起きているのか。鷲づかみにした発表文だけを頼りに、頭で文言を整理しながら本社に「速報」を伝えたことを覚えている。発表文にある「ワリシン」と「金丸」との間に何の関係があるのか…すでに東京拘置所に移送されたとのこと。どこかの社がすでに情報を掴んでいて、出頭の場面や、拘置所に収容される現場を撮影しているのでは…逮捕容疑は所得税法違反、いわゆる脱税、原資は大手ゼネコンからのヤミ献金で、脱税額は約10億4000万円に上った。
金丸元副総裁は前年に議員辞職していたが、依然として実権を握る最高実力者の逮捕は、政界にもすさまじい衝撃を与えた。4か月後の総選挙で自民党は単独過半数を失い敗退、8月には細川連立内閣が誕生、この事件は戦後長く続いた自民党一党支配、「55年体制」が終わるきっかけにつながった。また大手ゼネコンから自治体のトップや、他の国会議員へのヤミ献金疑惑も浮上し、特捜部はその後1年以上にわたり、大手ゼネコン各社から政界への大型汚職事件へ、さらに捜査を展開していくことになる。
司法記者クラブ全社が「出し抜かれた」
特捜部の事件を担当する「司法記者クラブ」は常駐の15の報道各社が日々スクープを狙って競い合っている。なかでも当時は朝日新聞が圧倒的に強く、前年に「新聞協会賞」を受賞するなど群を抜いていた。もちろん朝日新聞が「前打ち記事」を書かない場合でも、他のメディアが先駆けて報じることもあった。
一方、多くのメディアが事前に情報を把握していても、捜査妨害(逃亡や証拠隠滅など)になる恐れを考慮し、つまり事件がつぶれないよう、強制捜査の「Xデー」までタイミングを見計らうこともあった。
しかし、金丸元副総裁の逮捕は、朝日新聞も含め司法記者クラブ常駐15社のうち、事前に情報を掴んでいたメディアは一社もなかった。ロッキード事件の田中角栄以来、歴史的な「大物政治家逮捕」にもかかわらず、記者会見で発表されるまで、どこのメディアも全く気づいていなかったのだ。これほどの歴史的な事件で全社が白紙状態、強制捜査着手と同時に各社とも、一から取材しなければならないのは前代未聞で、まずありえないことだった。
それは検察庁内で徹底した情報管理が守られ「極秘捜査チーム」の検事だけで、内偵捜査が進められていたからだ。金丸側に絶対に情報が漏れてはいけなかった。相手は政界の権力者、もし事前に金丸側に、少しでも捜査の動きを気づかれたら、当然あらゆる手段で証拠を隠し、黙秘し、対抗策を講じてくるだろう。そうなると、立件が極めて困難になることは間違いなかった。このため特捜部は、これまでとは次元の異なる徹底した極秘捜査を貫き、「マスコミを完璧に出し抜いた」のである。

強制捜査着手前日の「五十嵐特捜部長」は…
金丸逮捕前日の3月5日夜、実は筆者は特捜部のトップ、五十嵐特捜部長の恵比寿の官舎に「夜回り」に訪れていた。