防府市では1960年代に建設
市内には、スターハウスが8棟あるそうです。未来的なデザインと言えそうですが、実は1961年から1965年にかけて建設されたものです。
1954年に登場、団地の新しい形
UR都市機構によりますと、スターハウスが日本に生まれたのは1954年でした。戦争で空襲の惨禍に遭ったことで簡単には燃えない住宅の需要が高まってコンクリート造りが注目され、全国に造られた団地のひとつの新しい形でした。
県内に残るのは防府市だけ
「もはや戦後ではない」と言われ、戦禍からの復興を果たして人々がより豊かさを求める時代にスターハウスは生まれ、全国に広がりました。県内では下関市にも建設されましたが、残っているのは防府市内だけということです。
核家族向け、トイレは洋式
間取りは2K。3世代で暮らす世帯が多かった当時に、夫婦と子どもの「核家族」と呼ばれた家族構成を想定していました。トイレも洋式が採用されています。その一方で、当時の生活がうかがえる場所もあります。
内田さん
「当時としては仏壇を置くスペースとして活用されていたと思われます。仏壇というのは各家庭にあったと思われますのでこういうスペースを用意して活用されていたのではないかなと思います」
スターハウスの暮らしは?
スターハウスに住む佐田正さんです。大阪から防府に戻って、30年あまり同じ団地の別の建物に住んだ後、7年ほど前にここに移りました。母親と2人暮らしでしたが最近母親を見送って今は1人暮らしです。

佐田正さん
「小学校の時はここは通り道じゃったからここができるとき見たら、すごいのができるんじゃなあと思うて。風通しはええです。向島のほうから風も来るし」
気に入っているのは建物だけではありません。
佐田さん
「とにかく田舎のほうが情がある。何事に困ってもね」
佐田さんは同じ棟に住む加代子さんと世間話に花を咲かせます。一緒に草取りをしたりときどきは差し入れもしてもらうそうです。加代子さんがスターハウスに来たのはもう40年も前。昼夜を問わず働き、女手ひとつで娘を育てて団地を送り出しました。周りの支えもあったといいます。
加代子さん
「同じくらいの年頃の子がね、あっちのアパートもここも。一緒に運動会やったり弁当作ったり。40年、あっという間よ、早いもん」