今大会日本勢初のメダルは前回に続き競歩だった。世界陸上ブダペスト大会6日目の男子35km競歩は、初日の20km競歩の上位選手が多数出場してきた。川野将虎(24、旭化成)は30km過ぎに3人の争いに残ったが、32km過ぎから引き離され、2時間25分12秒の3位。前回、22年オレゴン大会の銀メダルから1つ順位を落としたが、連続メダル獲得と健闘した。
優勝は初日の20km競歩金メダルのA.マルティン(29、スペイン)で、2時間24分30秒のスペイン新記録。2位はB.D.ピンタード(28、エクアドル)で2時間24分34秒の南米新記録。ピンタードも20km競歩7位。複数の入賞者が20kmのスピードと、中4日で2種目に出場するタフさを兼ね備えていた。
川野を大学時代から指導する東洋大の酒井瑞穂コーチの評価も交え、35km競歩の戦いを振り返る。
勝負どころは30km前後のペース変化
勝負は30km前後で決着した。マルティンが30kmまでを3分54秒に6秒ペースアップ。そこで川野は4秒引き離された。31kmまでに追いついたがそこで力を使ってしまい、32kmからマルティンとピンタードに引き離されてしまった。
昨年の世界陸上オレゴンの川野は、優勝したM.スタノ(31、イタリア)と1秒差の銀メダル。今大会はマルティンと42秒差の銅メダル。一見、後退したように見えるが、川野は良い表情でフィニッシュした。
「金メダルを目標にしていたので悔しい結果にはなりましたが、6月の練習中に転倒してしまい、1か月近く思うような練習ができませんでした。その時に瑞穂コーチから、諦めずにできることをしっかりやってブダペストにつなげていこう、と何度もアドバイスをいただきました。今までの取り組みが間違っていなかった、ということを証明するために、勝負をしてみました。今出せる最大限のパフォーマンスを出すことができたと思います」
厚底シューズが競歩界へも波及し、世界のレベルアップは著しい。酒井コーチはマルティンが20km競歩で優勝した翌日に90分ジョグをする様子を見て、メダル狙いに切り換えたという。
「20km競歩の15km以降を全部、3分50秒(/1km)でも余裕のある歩きをしていました。川野は春先に貧血もあって、(余裕のあるペースは3分50秒に)5秒くらい足りません。マルティンのペースに無理矢理合わせたら、おそらくフォームが崩れます。安定したフォームで歩いて、確実にメダルを狙う戦術にしました」
その戦術通りに川野は歩ききった。フィニッシュ時の納得した表情は、想定した結果を出したからだった。
日本の技術と海外の技術を融合
今季の川野は必ずしも順調とはいえなかった。2月の日本選手権20km競歩は5位、4月の日本選手権35km競歩は2位。世界陸上オレゴンから競歩ロング種目の距離が50kmから35kmに変更され、スピード系の練習を多くした。だが、そのことが貧血を招いたかもしれないという。
その後はスタミナ系のメニューを増やしたというが、50km競歩の頃や世界陸上オレゴン前に比べれば、速いペースで行っている。
動きも「以前よりストライドが大きくなっています」と酒井コーチ。
「海外選手は体幹がしっかりしていて、フォームがダイナミックです。それに対して日本人は接地も踵から入って滑らかに綺麗に歩きます。末端のところとか細かい部分はすごく丁寧にやっている。でもそればかりやると進まないところもあります。日本らしい技術と、海外の学ぶべきところの技術を融合させた川野らしい技術を、1年間かけてやってきました」
その結果、筋骨格量が昨年より3kg、今年の春より2kg増えた。ストライドが大きな歩きができるようになってきたのである。
メンタル的に余裕ができたことも川野の成長の要因だ。オレゴン大会までは、レース当日まで落ち着かない行動であったり、ちょっとした体の変調が現れていた。だが今は、「東京五輪や世界陸上オレゴンに比べ、レース直前の様子も落ち着いていました。それでレースもコントロールできたのだと思います」と酒井コーチも成長を認めている。
川野本人も自分のレースができたという。
「最初は落ち着いて、後半に向けてしっかり自分の歩きを整えて、体を整えて、最後の勝負どころで勝負するんだっていう思いで臨みました」
川野自身は銀メダルのオレゴンよりも、ステップアップしたことをブダペストで確認できていた。
世界的にレベルアップの競歩界で2大会連続メダルの健闘
35km競歩は川野以外も、男子では野田明宏(27、自衛隊体育学校)が6位、女子でも園田世玲奈(26、NTN)が7位と、昨年オレゴンで惜しくも入賞を逃した2人が入賞した。だが男子20km競歩では前回金メダルの山西利和(27、愛知製鋼)が24位、前回銀メダルの池田向希(25、旭化成)が15位。古賀友太(24、大塚製薬)の12位が最高順位だった。女子20km競歩も前回6位に入賞した藤井菜々子(24、エディオン)が12位。男女20km競歩では日本の競歩関係者に衝撃が走った。
海外選手たちは20km競歩と35km競歩を当たり前のように兼ねる。スピードとタフさが身に付き、「(厚底シューズという)テクノロジーの導入」(今村文男日本陸連強化委員会競歩シニアディレクター)も外国勢は積極的だ。その点において日本は対応が遅れているという。
20km競歩の大敗を目の当たりにした川野は、日本の伝統を守ることも自分の役目と受け止めた。
「世界陸上北京(2015)から日本の競歩はメダルの獲得を積み上げています。強い競歩という日本の伝統を崩してはいけない。強い気持ちを持って今回、臨みました」
川野は50km競歩が最後の実施となった東京五輪で6位入賞。15年の世界陸上北京銅メダル(谷井孝行)、16年のリオ五輪銅メダル(荒井広宙)、17年世界陸上ロンドン銀メダル(荒井)、19年世界陸上ドーハ金メダル(鈴木雄介)と、50km競歩は世界大会で世界で戦い続けてきた。
そして35km競歩最初の実施となった昨年の世界陸上オレゴンと、今回のブダペストと川野が連続入賞。東京五輪日本の伝統を守った。
「2大会連続でメダルを取り続けることの難しさは、身に染みて感じていました。ヨーロッパ勢のような技術だったり、最高のスタミナ作りだったり、メンタル面だったりが本当に万全な状態じゃないと、メダルを獲得することはできません。自分でも価値のあることだったと思っています」
世界陸上オレゴンでは、競り負けた後に地面に突っ伏して倒れこんだ。悔しさで拳を地面に叩きつけたシーンが印象的だった。その川野が日本の競歩界を支える存在になりつつある。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)