世界陸上ブダペスト大会4日目も、世界陸上初の快挙が続いた。男子3000m障害では三浦龍司(21、順大4年)が8分13秒70で6位に入り、この種目世界陸上初入賞を達成した。自身の21年東京五輪の7位を上回り、五輪&世界陸上を通して日本人最高成績を残した。男子走高跳では赤松諒一(28、アワーズ)が2m25で8位に入賞。昨年のオレゴン大会は真野友博(27、九電工)が2m27で8位。異なる2選手で世界陸上2大会連続入賞をしたのは、長距離・競歩種目以外では初めてのことだった。三浦も赤松もオレゴン大会は予選落ちした選手。この1年間の成長が、どんなところに現れていたのだろうか。
メンタル面の焦りが助走の狂いに
2m29を3回失敗した赤松は、悔しさを隠せなかった。2m25を1回目でクリアした時点では、G・タンベリ(31、イタリア)やM・E・バルシム(32、カタール)ら強豪選手たちの何人かがその高さを1回失敗し、暫定順位ではあるが1位タイで4人が並んでいた。2m29を1回でクリアすれば、上位入賞が考えられた。だがバーが2m29に上がると、赤松の助走に狂いが生じ始めた。
「コース取りを間違えて、力強い踏み切りができませんでした。(失敗の原因は)コース取りをちょっと間違えてしまって。本来なら中間マークの後の5歩を、できるだけ外側に接地しながら、円を描くように走るのですが、それが少し内側に入ってしまって、直線的な助走になってしまいました。跳ぶ意識がちょっと強すぎたのかもしれません。そこだけが悔しいです。予選の跳躍ができていれば、2m29もクリアできたかな、と思います」
予選の疲れ、筋肉痛などもあったが、決勝当日は赤松のメンタルは「すごく良くなっていた」と、岐阜大4年時(2017年)から指導をする林陵平コーチ(岐阜大監督)は言う。
「本人も言ったように、跳び急いだのだと思います。2m29をどうしても跳びたい思いが強く、1回目は助走のテンポが上がりすぎていました。2回目と3回目は、多少疲れが出ていたと思います。(2m14から2m28まで1回のミスもなく跳んだ)予選から決勝の2m25まで、ずっと上手く跳べていたのに、2m29でイメージが崩れてしまった。周りの選手も先に2m29を跳び始めて、少し焦りも出てきたのだと思います」
だが2m25までをノーミスで跳んだことで、その高さを跳んだ4人の中では最上位になった。2m29をクリアしたのが7人だったため、赤松は8位タイと入賞を果たした。

地方国立大からの挑戦
赤松は高校生の全国大会であるインターハイで3位。高校トップ選手で強豪大学からの誘いもあったが、地元の岐阜大に進学した。岐阜大には全天候舗装のトラックはなく、今も土のグラウンドで練習している。跳躍練習を行う十分な設備がなく、赤松は3年時までは短距離ブロックで練習した。赤松の助走スピードの速さは、当時のトレーニングが生きている。それでも2年時の日本インカレに優勝するなど、能力の高さを見せていた。赤松の4年時に、筑波大大学院を卒業した林コーチが着任。林コーチはまず、赤松の筋肉に驚いた。
「全身の筋肉がアキレス腱と同じくらいの硬さなんです。跳躍選手にとて、最適なバネを生む筋肉でした」
そして練習体系を見直した。赤松は「ウエイトトレーニングもしっかり行うことで、助走の安定性が増しました」と、当時を振り返る。自己記録は大学2年時の2m25を更新できなかったが、大学院2年間で記録のアベレージは上がった。そして実業団1年目の20年に2m28と、自己記録を3cm更新すると21年2m27、22年2m28とレベルが一段階上がった。
助走のスピードアップと安定
21年の東京五輪は5月にケガをして代表入りできなかったが、22年は「踏切5歩前のマークを踏み、バーを見て加速する意識で駆け込むことができる」ようになった。それ以前に見られた「体が勝手にセーブする」ことが少なくなったのだ。22年は世界陸上オレゴンの代表入り。だが「初出場の雰囲気に飲まれた」ところもあり、予選を突破できなかった。しかし今年は2月の日本選手権室内、アジア室内選手権と連勝し、大舞台で強さを発揮できるようになった。アジア室内選手権では2m28と屋外の自己記録と同じ高さを跳び、世界陸上オレゴン銀メダルの禹相赫(27、韓国)にも勝った。 林コーチは「助走が自動化された」と説明する。
「体にスピードがなじんで、踏み切り前5歩のリズムが安定し、減速率がさらに小さくなっています。昨年までは一生懸命走っている助走でしたが、良かったり悪かったりバラつきがあった。今は高いスピードでリズム良く踏み切りに入っていけています」
7月22日に2m30と、初の大台もマーク。だが、その後踏み切り脚の小指を痛めてしまい、世界陸上までの跳躍練習は一度もできなかった。跳躍練習以外のトレーニングだけで調整したというから、ピークを合わせるための引き出しが増えている。「人間力が高まっていますね」と指導7年目になる林コーチは感じている。
「ブダペストでも予選から助走がすごく安定し、決勝も2m25まではピカイチでした」
赤松&林コンビは筋力やスピードなど、基礎的なトレーニングを重視してきた。そこに片脚ジャンプなど、プライオメトリック的なトレーニングを加えていく段階に来ている。ブダペスト前にも行う予定だったが、直前のケガで見送った。「パリ五輪に向けては高負荷の専門的なトレーニングも行います。しかし基礎的なところも見直して、そこは絶対に抑えながらやっていきます」(林コーチ)
赤松自身は入賞したことに関しては「ずっと目標にしてきたのでうれしさはあります」という。だが「2m29を跳べなくて、今本当に悔しいと思っています。去年だったら(世界大会で)2m25をクリアできたらうれしいと思っていました。2m25で悔しいと思えている分、成長したのかな」
基礎的なトレーニング重視で世界陸上8位まで成長した赤松。次はどんなステップを
上がるのか。世界へ挑戦していく選手がブダペストで出現した。
オレゴンも東京五輪も上回る内容に
三浦が“世界トップ選手の仲間入り”していることが、ブダペストではっきり見ることができた。それはレース展開にも現れていた。まずは大会初日の予選。3組4位で、着順通過の5位以内に入った。世界記録保持者のL・ギルマ(22、エチオピア)は追わず、なおかつ力を出し切らないで予選を通過した。
「無理には追わなかったです。そんなに必要以上に疲労を残すこともないかなと思ったので、そこは判断しました」
昨年のオレゴン大会では予選で一瞬の躊躇があり、決勝進出ラインの選手たちの流れに乗ることができなかった。それに比べ今年の三浦は、まったく危なげのない走りだった。そして大会4日目の決勝だ。2000mから金メダルのエル・バッカリ(27、モロッコ)、ギルマ、A・キビオォット(27、ケニア)、L・キプケモイ・ベット(22、ケニア)、S・K・コエチ(20、ケニア)、G・ウァレ(23、エチオピア)に引き離され7位の位置に。だが、すぐに落ちてきたウァレだけでなく、徐々にコエチとの差を縮めていた。最後の周回に入り2800m手前で5位に浮上。3、4位を走るキビオォットとキプケモイ・ベットとの差も詰めていた。ラスト100mで三浦の武器であるラストスパートが爆発すれば、メダルに手が届くかもしれない。そう思われた。だが最後は三浦も疲労が大きく、ラスト100mを13秒26と驚異的なスピードで追い上げてきたG・ビームシュ(26、ニュージーランド)に逆転され、6位でのフィニッシュとなった(三浦は15秒43)。
それでも6位は大健闘だ。一度後れてもリズムを立て直せたから、世界トップ選手たちと対等に戦うことができた。レース後の三浦は次のように話した。
「最初の1000mを落ち着いて入り、リズムを作りながら、他の選手と接触しないように障害を越えていきました。最初は後ろの方に位置しましたが、中盤から上手くペースアップして、(2000mからの)先頭のペースアップには対応できませんでしたが、ラスト1000mも流れとしては上げて行くことができましたね」
史上初の入賞を決めたラストの強さは、中盤の走りの技術が良かったから可能になった。この1年間で向上した走力と、ダイヤモンドリーグなどの経験が背景にある。「東京五輪の7位より1つ上がりましたし、銅メダルが見えるような位置に入れたのは、本当に収穫になりました。あの先頭集団に加われて、なおかつラストスパートで勝負できればなお良かったのですが、その兆しは少し見えたのかな、と思います」
予選落ちしたオレゴンから1年を経て、三浦がメダルへの手応えを口にできるまでになった。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)