日本の男子4×100mリレーが復活を期している。かつて日本がメダル&入賞の常連国となっていた種目だが、19年世界陸上ドーハ大会の銅メダルを最後に、21年東京五輪決勝途中棄権、22年世界陸上オレゴン大会予選失格と、日本はフィニッシュまでバトンをつなげていない。ブダペスト大会の出場権も7月23日のダイヤモンドリーグ(以下DL)・ロンドン大会と、期限ギリギリで獲得した。だがロンドン大会では37秒80の今季世界最高タイで、バトンパスなど内容的にも良い形ができたという。ロンドン大会から日本チームのスタッフに、ロンドン五輪4位のメンバーだった江里口匡史(35)大阪ガス・コーチが加わった。江里口コーチの視点も交えて、ブダペストの日本チームを紹介する。
3→4走のバトンパスで強豪・英国を逆転
昨年の世界陸上オレゴン大会でブダペストの出場権を獲得できなかった日本4×100mリレーチームが、最後のチャンスとして出場したのが7月23日のDLロンドン大会だった。1走から坂井隆一郎(25、大阪ガス)、栁田大輝(20、東洋大2年)、小池祐貴(28、住友電工)、上山紘輝(24、住友電工)のメンバーが、37秒80の今季世界最高タイをマークして優勝。ブダペスト出場権をゲットした。緊急招集された上山はアジア選手権(3位=20秒53・-0.4)から日本に帰国し、すぐにロンドン入り。バトン練習は上山が到着した翌日のレース3日前と、前日に行っただけ。6月の日本選手権後に1日、ナショナルトレーニングセンターで行った練習を含めても3日間だけで臨んだ。2走ではZ・ヒューズ(28、英国)が栁田を引き離し、地元・英国がスタンドを沸かせた。しかし3走の小池が差を縮め、4走の上山へのバトンパスで日本が前に出た。上山がすぐにリードを広げ、その後は危なげなく逃げ切った。3、4走の活躍が目立ったが、2走でヒューズに食い下がった若手の栁田も、大役をまっとうした。
「2つ外側にヒューズがいて、それを見たらちょっとヤバイと思ったので、小池さんだけを見て走りました。昨年の世界陸上オレゴンは4走でしたが、4走だとフィニッシュラインを見て走ってしまいます。それに対して2走は、その先までトップスピードを維持する感覚で走るんです。バトンを渡すことが好きなので、4走も好きですけど2走も楽しいですね」
帯同した江里口匡史コーチは、自身も100mと4×100mリレーの12年ロンドン五輪代表だった。日本チームスタッフとなって初めての試合がDLロンドン大会だった。

「ロンドン大会前の世界リストでは、38秒39が(ボーダーラインの)8番目でした。ブダペスト出場権獲得のためには38秒0を出すことが目標で、一か八かで攻める必要はないレースだったんです。1→2走と2→3走は詰まりすぎず、攻めすぎず、想定通りのバトンパスができましたが、3→4走はギリギリすぎましたね。上山くんの調子が日に日に良くなっていましたし、マークより少し出が早いかなという感じもありました。小池君が本当に、そこしかない、という場所とタイミングで渡してくれました。そこのバトンパスで英国を抜きましたね」
多少の誤算はあったものの、ロンドンで良い走りをしてブダペストに乗り込む形になった。
ロンドン五輪などさまざまな経験をした江里口コーチの思い
「つなぐ、ということを何度も言葉にして、必ずつなぐ前提でバトンパスを作りました」。江里口コーチはそういう思いで選手たちに接した。「21年以降日本のバトンはフィニッシュまでつながっていません。つなぐ前提の中で攻める、攻めないを考えるようにしないといけない」
江里口コーチのこの姿勢は、自身の経験も大きく影響している。1走を走った09年世界陸上ベルリン大会は4位、2走を任されたロンドン五輪も4位。08年北京五輪、16年リオ五輪で銀メダルを取った日本が、メダルを取れなかった時代のエースだった。江里口コーチは100mで日本選手権に4連勝(09~12年)した選手。自己記録は09年日本選手権で出した10秒07(+1.9)である。だがロンドン五輪の個人種目は苦い思い出となった。100mは10秒30(+0.7)で予選落ち。当時慶大2年生だった山縣亮太(31、SEIKO)は予選で10秒07(+1.3)の自己新を出し、準決勝も10秒10(+1.7)と世界に戦いを挑んでいた。
「すごく悔しかったですね。個人種目はダメだったけどリレーは頑張るぞ、と気持ちを入れ換えたつもりでしたが、1週間、葛藤がありました。何のためにロンドンに来ているのか、とか考えてしまって。そのくらいギリギリのところに立たされていました」
4×100 mリレーは2走。江里口コーチはスタートを武器とする選手で、その年の国内3レースでは1走を任されていた。だが当時の江里口コーチは、スターティングブロックからの走りに悩んでいた時期だった。ロンドン五輪の個人種目も結局、そこが上手く走れなかった。4×100 mリレーは1走を山縣に任せ、自身は2走に回った。その2走で「力を出し切った走りができた」という。
「2走はバトンを渡した後、9レーンだったので内側から来る人たちを波が来るように感じるのですが、予選では米国は別として、それ以外の国の波がワンテンポ、ツーテンポ後れて来たので良い走りをしたんだなと感じました。バトンを受けて走り出したときに“ウワー”っと声を出していますし、バトンを渡した後はフィニッシュ地点まで走り続けていました。五輪の特別な雰囲気に、良い意味で乗った走りだったと思います」
メダルは取れなかったが「世界陸上ベルリンもロンドン五輪も、やれることはやった、準備すべきことは準備した自負はある」と、後悔はしていない。それでもメダルに届かなかった経験をしたからこそ、後輩たちに伝えられることもある。
「僕は北京五輪のリレーチームにすごく憧れたんですよ。リレーで世界を目指すのは、自分の中でごくごく当たり前でした。僕がそうできたかどうかはわかりませんが、僕が憧れたように、下の子たちがそういう目で見てくれていたなら嬉しいですね」

08年北京五輪は1走から塚原直貴、末續慎吾、高平慎士、朝原宣治と、多少の入れ替わりはあったものの、04年アテネ五輪以降にメンバーが固定されてきた。そのうち高平と塚原が、09年世界陸上ベルリン大会で江里口コーチたちとメンバーを組み、12年ロンドン五輪は2走の江里口コーチと3走の高平が以前からのメンバー。そこに1走の山縣と4走の飯塚翔太(32、ミズノ)が学生で加わった。そして1走・山縣、2走・飯塚に3走・桐生祥秀(27、日本生命)と4走・ケンブリッジ飛鳥(30、Nike)が加わって、リオ五輪の銀メダルにつながった。
「桐生君が3走に入ってきてから、日本のリレーがまたレベルアップして、また憧れられる存在になったと思います。ロンドン五輪でも、そういうことができたと思うんですよ。だからこそ今のリレーメンバーがまた、中高生や大学生に憧れられるリレーをやってほしい。強い憧れを自分が持ったからこそ、今こうやって現場に戻ってきたからには、そのお手伝いをしたいですね」
まだ35歳と若い江里口コーチが、2年間バトンがつながっていないチームに新しい風を吹き込もうとしている。
メダル獲得へ、サニブラウンも復調
走順についてはまだ決まっていないが、ロンドンで37秒80を出したときの坂井、栁田、小池、上山が1つの叩き台になる。そのとき明らかになった課題を解決するために、何が必要かを考える。その後の各選手の状態を見て、選手を交替させるのか、バトンパス練習で確認をするか。ロンドンの小池の走りが良かっただけに、1~3走はロンドンと同じになる可能性が高い。選手が交替するとすれば、今大会100mで6位に入賞したサニブラウン・アブデル・ハキーム(24、東レ)が第一候補だ。
昨年のオレゴン大会のサニブラウンは、100mは今回と同じように7位入賞したが、4×100 mリレーは走ることができなかった。サニブラウンが問題なければ、他国との競り合いが壮絶な4走かエースが集まる2走が有力だ。200m予選では飯塚が20秒27(±0)の海外自己最高で予選を突破。リオ五輪4×100 mリレーの2走で銀メダルを獲得した実績を持つ。上山は20秒66(-0.2)で予選を突破できなかったが、鵜澤飛羽(20、筑波大3年)も20秒34(-0.2)で準決勝に進んだ。
日本チームがどんな判断をするかわからないが、飯塚は4×400mリレーでも実績がある。走順は開けてみてのお楽しみになるし、そこにどんな意味が込められたかは、レース後に初めて明かされる。江里口コーチはDLロンドン大会でもバトンパスのマークを置く位置の、練習と本番の微調整の仕方などをアドバイスした。そうした細かい部分のアドバイスだけでなく、チーム全体がコミュニケーションをとりやすい雰囲気を作ろうとしている。
「1人1人とできるだけ多く話をします」と江里口コーチ。
「全員に対して何かを言うというより1人1人と、陸上の話も、そうでない話も、いろんなコミュニケーションを取るようにしています。バトンパスの技術的な話もしますが、思いの部分を伝える時もありますし、そういうときは自分の感情も込めながら話します。スタッフの中では僕が一番若いので、比較的選手側で話をしやすい立場です。自分のことも知ってもらえるように、コミュニケーションをとっていますよ。僕が代表になり始めた頃、高平さんや塚原直貴さんが、すごく頼りになりました。僕も、頼りになるお兄ちゃんぐらいの立ち位置で話とかできたら、本番を迎えるときに何か役に立てるかもしれません」
リレーチームは各選手が自分の気持ち、やりたいことをお互いに気兼ねなく話し合うことで、チームワークが格段に良くなる。心配していることや、技術的に迷っていることをストレスなく相談できるスタッフがいたり、選手同士で言い合う関係ができると、問題が生じたときに一枚岩で解決に向かえるのだ。江里口コーチ自身が出場したロンドン五輪と、同じ会場で行われたDLロンドン大会で結果が出た。「安心もしましたし、日本のリレーはやはりいいな」と感じたという。
「最後に走るのはメンバーの4人になりますが、もちろん補欠も含めたメンバーも、一緒に練習を作っているスタッフも必要不可欠の存在です。そうした現場の人間が頑張れるのは、所属チームの人たちや陸連の人たちがいて初めてできることです。さらに言えば選手の家族や、応援してくれてる人たちも。リレーだからこそ、多くの人たちがより関わることができる。僕もまた現場に戻ってきたので、そういう形で日本のリレーに関わっていきたい。速い奴が4人集まって走ればいい、という考え方とは、日本のリレーは違います。関わってくれる色んな人の思いを乗せて、バトンを繋いでいくのが日本のリレーの強さです」
江里口コーチの存在も、その強さの一端を担う。DLロンドン大会で出した37秒80は、今季の日本チームがスタートしたばかりの段階で出したタイムである。多くの人の思いが結集するブダペストでは、メダルと37秒43の日本記録更新も射程圏内に入っている。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)