テレビで、その姿を見ない日はない。無人島生活など、体を張る姿が印象的な人気芸人、あばれる君(36)だ。芸歴14年を迎えた今も体を張り続けているのは、最愛の叔父の死に理由があった。警察官として福島に尽くした叔父との別離、そして防災への思いを語った。
(「関東大震災から100年 あす巨大地震が来たら」取材分より)

初めての災害 避難誘導中の叔父の死
「当時、福島県にいる家族とは誰とも連絡が取れなくて、不安で仕方なかった。本当に不安でした」
12年前の東日本大震災。巨大地震が東北地方を襲った。あばれる君は当時、デビュー2年目。アルバイト先からの帰宅中に都内で地震に遭遇した。福島県・中通り地方にある実家に連絡しても、誰とも通じない。「家族は無事なのか」。不安だけが募った。
「何しろ大きな地震とか災害は、初めての経験でした。阪神・淡路大震災(1995年)はニュースで散々見ていたけど、自分のなかでは現実味がなかった。だから、東日本大震災の時は、本当にショックでした。抗えない力で、押さえつけられているようで、怖かった」
福島の家族と連絡がついたのは、震災から数日後。しかし、津波が襲った浜通り地方にいる叔父とだけは、連絡がつかなかった。
叔父の古張文夫さんは、福島県警双葉警察署(福島県富岡町)の巡査部長だった。
あの日、非番で自宅アパートにいた古張さんは、すぐに浪江町の浪江分庁舎に駆けつけた。同僚の警察官とパトカーで沿岸部の住宅を一軒一軒訪ねて、住民の避難誘導に当たったという。
大津波警報が出され、高台に向かう途中、幹線道路が避難を急ぐ人たちの車で渋滞する現場に出くわした。「車を降りて、高台に逃げろ」。パトカーを降りた古張さんは、車中に残る住民に避難を呼びかけている最中に津波に飲まれ、そのまま行方不明となった。
震災からおよそ1か月後の4月15日。浪江町内のがれきの下で、古張さんの遺体が見つかった。原発事故で立ち入れない期間が続き、捜索が遅れていた。警察官の制服とヘルメットで、古張さん本人と判別された。
「叔父が見つかった場所は、海沿いではなくて、かなり離れたところだった。津波の強さ、恐ろしさ、その力を痛感しました」