遊漁船船長 田中海里さん
「最初はそこまで興味があったわけじゃなくて、魚を見るのが好きで見ていたら、アンカーとかが沈んどったり、ちゃんと船の形を、まだしているのを見て、戦争があったんだなって実感するきっかけになりました」

自分の地元で起きた戦争の被害について、よりリアルに体感したといいます。そして、海里さんにはひとつの思いが芽生えました。

遊漁船船長 田中海里さん
「まだ沈んどって見つかっていない沈没船とか、見たことない沈没船がいっぱいあるって聞いたので、ちょっとずつ沈没船が撮りにいけたらいいなと思います」

1945年7月25日。鳥取県大山町沖で2隻の貨物船、永安丸と第二伊勢丸が米軍機の銃撃を受けました。
永安丸は機銃で応戦するも、被害は大きく間もなく沈没しました。地元の人たちの救助によって生き延びた人もいました。

一方の第二伊勢丸はすぐに沈没し、救助された人はいなかったといいます。

永安丸では10人、第二伊勢丸は9人が亡くなりました。

その日の記録が、役場の日誌に残っていました。

「遭難船永安丸船員役場会議場ニ収容セリ」。
「空襲ニテ遭難セル第二伊勢丸ノ船員死体漂着セリ一名」。

沈没した2隻は、引き上げられることなく、いまも海底に沈んだままです。