8月10日の木曜日に開業20周年を迎える「ゆいレール」。県民が待ち望んだ20年前の開業当日、誰よりも手に汗を握ったであろう一番列車の運転手は、なんと女性運転手でした。県民が熱狂した開業当日の様子と、当時の状況について話を聞きました。

「小学校の時から待ちに待った」待望のモノレールが沖縄に完成

「わーヘリコプターよりも早い!」
「ばんざーい」

20年前の2003年8月10日、ゆいレールが誕生しました。那覇空港駅には泊まり込みで開業を待つ人が、そして終点の首里駅には500人が列をつくりました。

列に並ぶ男性
「30年待ちました。小学校の時から待ちに待った。いよいよです」

車内は満員。それでも下りてきた乗客たちは満面の笑みを浮かべるなど、駅は期待と希望で、あふれかえっていました。

乗客
「日の出がきれいで、とても楽しかったです」
「空飛んでいるみたいだった」
「もうとっても静かで、いい感じだった」
「もう最高です」

那覇空港から那覇の市街地を通って、首里までの15駅、総延長13.1キロ。総事業費1100億円が投入された、一大プロジェクトでした。

(車内アナウンス)
「ドアが閉まりまーす!」

県民の注目を一心に集めた、一番列車。運転の大役を担ったのは金城エリナさんです。20年経った今も、ゆいレールのハンドルを握っています。

金城エリナさん
「非常ブレーキよしっ!」

開業当日の人々の熱狂は、強く印象に残っています。

金城エリナさん
「一番列車の運転士をやりたい人がいっぱいいたので、公平にクジでやりましょうと当時の上司が決めて、『当たったよ』って言ったら一番喜んでいたのは両親でした」

「動き出すとみんな『わー』って歓声もあって、万歳三唱が起こっていて、いまでもはっきり覚えていますね」

現在は、運転士を務める傍らで、後輩の点呼を行うなど、運転士の管理・指導を担っています。

当時5人いた女性運転士は今では金城さん1人に。2人の子の妊娠・出産を経て、子育てに追われながらも「運転が好きだから」ここまで続けてこられたといいます。

金城エリナさん
「主人も家族も実家の義両親も含めて協力してもらってやってこられたと思います。すみません、いろんなことを思い出して。。。運転も好きなので続けてこられたというのもありますけど、周りの協力がないと、うちの子も大きくなっていないので」

開業翌日。お祭りムードから一夜明けると、通勤の足としての本格利用がスタート。

通勤客
「バスに比べて時間がちゃんと決まっているので乗りやすかった」

高校生
「時間短縮にもなるし、モノレールって時間が決められてるじゃないですか、遅刻っていう割合も少なくなるんですよ」

実はこの頃、沖縄のバスは「時刻表通り来ない」との声もあり、ゆいレールに対する『定時運行』への期待は高かったといいます。

とはいえ、車への依存度が高い沖縄。いかにしてゆいレールに客を引き込むかは課題のひとつでした。

「かんぱーい」

ありし日の首里城正殿を望む車内で、ボージョレヌーボー。沿線にあったホテル・グランドキャッスルの企画で、1往復分をまるごと貸し切りました。

ある日は響き渡るオペラの歌声。こちらも貸し借りで、車内をコンサートホールに変えてしまう、大胆な試みでした。

このほかにも、結婚式をしたり、ラッピングを施したりと、あの手この手で、存在感を高めてきました。

開業当時、採算ラインを1日あたり3万1000人としてスタートしたゆいレール。順調に乗客を伸ばし、2013年に4万人、2018年に5万人を突破。近年はコロナ禍で落ち込みましたが、再び盛り返してきています。

さらなる輸送能力アップに向けて、今週木曜日からは、ついに3両編成へと進化します。

20年前の開業当日、1番列車の運転士を務めた金城エリナさん。これからも、人と街をつなぐために、ハンドルを守っていきます。

金城エリナさん
「地元の方と、観光にくるお客さまと、無事に楽しく目的地まで送り届けられたら、今後もたくさんの方に乗ってもらいたいですね」