8月15日、78回目の終戦の日を迎えます。
太平洋戦争末期、戦禍を逃れるため山梨県に学童疎開をした男性が、子どもたちに当時の様子を語り伝えました。

戦時中、恵林寺に学童疎開 原田達夫さん:
いわゆる栄養失調ですね。体がやせてお腹だけポツンとでているような状態に最後にはなっています。

80年前の記憶を語るのは千葉県松戸市に住む原田達夫さん(89)。

太平洋戦争末期、東京・中野区に住んでいた当時9歳の原田さんは、終戦1年前の1944年、戦禍を避けるために甲州市塩山小屋敷の恵林寺に学童疎開しました。

戦時中、恵林寺に学童疎開 原田達夫さん:
ノミがものすごく発生していまして、私の経験では布団に裸で寝るわけです。寝巻きを着ているとなかなか捕まえられない。裸だと、かゆいとペッとやればノミがここにいるわけです。それをつぶすんですけど。

恵林寺は戦時中、地方に縁のない子どもたちのための「疎開学園」を設置し、中野区から約120人を受け入れました。