血を吐き倒れていく人たち…「次は私の番だ」

上野さんは、治療を受けていたときのことをふり返ります。
上野栄子さん
「もともとおさげ髪にしていたんです、三つ編みに…。でも血がカチカチになって治療するのに邪魔だからと坊主(丸刈り)にされたんです、みな」
上野さんの頭には、被爆から40年がたった後に取り出すまで、ガラスが入っていたといいます。
上野栄子さん
「腕や顔に残っている傷は、全部ガラスの傷です。このように耳が切れているんです。出血がひどかったんです」

大田萩枝さんは、8月の終わりごろから、体に斑点が出る人や、髪の毛が抜ける人が出てきだしたといいます。上野さんも、そうした人たちを見てきました。
上野栄子さん
「血を吐いてね、亡くなっていきましたよ。もう、私の番、今度は私の番。亡くなっていったら、次は、今度は私の番と、そればっかり思っていました。あの時は。それが、先生、50年、生きさせてもらって…」

治療活動が行われた校舎は、戦後も補修を重ねて使われました。しかし、2人の再会から5年後の2000年、老朽化のため取り壊されました。その一部は保存され、袋町小学校内の平和資料館として、現在もあの日のことを今に伝えています。