野球解説者 達川光男 さん
というよりも、彼の1球は自分だけの1球じゃないと。カープ球団のオーナーをはじめ従業員の方、そして選手の生活がかかっているわけですよ。そしてファンの…、勇気と感動を与えるというぐらいのボールだった。

石橋真 アナウンサー
「自分だけのじゃない」とおっしゃったじゃないですか。今、ぱっと思い出したのが、1991年のカープ-ライオンズとの日本シリーズ初戦先発、沢村賞を取った 佐々岡真司 。でも、秋山・清原・デストラーデにボコボコに打たれた。3回途中、ノックアウト。

これ、どうしようかっていう状況で第3戦が北別府先発、1対0で負けたけども、内角をズバズバ突いていた。それを見ていた佐々岡真司さんは、こういう投球をすれば抑えられるんだと思って、迎えた第4戦でほぼ完璧な投球内容。受けていたのは、達川光男さん。北別府さんのああいう投球をすれば抑えられるんだと佐々岡さんがすごく参考になったっていうのは、先日、話を聞きました。

達川光男 さん
ササ、キャッチャーが悪いって言えや、おまえ。

石橋真 アナ
そんなことないですよ。

達川光男 さん
いや、あの初戦は佐々岡、気の毒だった。もうボールも持てないぐらい疲れ果てていた。最後の阪神のダブルヘッダーで彼、中3日で来てたんですよ。4日じゃないんですよ。中3日が8回まで投げていて、結局、8回を投げ切れなかった。1対0で。セーフティーバントされて、ピンチヒッターにオマリーが出てきたんです。そしたら 山本浩二 さんが、初めてそのシーズン、いつもは 安仁屋宗八 さんが来るんですが、山本浩二さんがトコトコ、トコトコって走ってきた。速く走れって思いながら…。

マウンドヘ来て、野手全員集めて、佐々岡に「ササ、もう1イニングだ。がんばれ」と。「この回だけ、がんばったら大野(豊)を用意しとるから」と。「だいじょうぶか?」と言ったら「だいじょうぶです。行きます」と。ダメだと言えや、ダメなのになあと、受けているぼくは思ったわけ。ぼくも選手の立場上、「もうダメです」とは言えんから、しょうがないなと監督がそう言うならと。

みんなで輪が解けて、山本浩二さんとわたしがマウンドから3歩ぐらい降りたところで、山本浩二さんが「タツ、本当にだいじょうぶか?」と言うた。わたしは「いや、だいじょうぶじゃないと思いますよ」と言うたんですよ。「早う言え、おまえ」って。聞かんけえ、言えんだけで。そしたらベンチに向かって安仁屋さんに、安仁屋さんはピッチングコーチだったから、山本浩二さんがこうやって左、大野を用意せえって。大野はいちおうキャッチボールはやっていたけど、5~6球投げて、タッタッタッと来て、ビシッと抑えて、最後9回は3者連続三振。

田口麻衣 アナウンサー
達川さん、よく覚えてらっしゃいますね、その1つひとつのシーンを。すごすぎます。

達川光男 さん
覚えとるって、まあ、ふつうでしょう。仕事は覚えておかんと。

石橋真 アナ
球を受けていて、やっぱり疲労がたまった佐々岡さんが日本シリーズでなかなか…

達川光男 さん
あれはかわいそうだった。満塁ホームランを打たれたんですよ。3ボール・2ストライクからフォアボール出すぐらいならホームラン打たれえと思って、インコースからスライダーを回したんですよ。そしたら本当にホームラン打たれたよ。

石橋真 アナ
でも、その後を受けた3戦目の北別府さんが負けはしたけども、もちろん勝てばよかったんだけども、しっかりと次につながるお手本のような投球したからこその翌日登板の佐々岡さんにつながる。そういう面で、北別府さんの意識はわかんないですけど、全体・トータルでいろんなものを伝えてきたんだなと、ぼくは感じたんです、北別府さんの存在って。

達川光男 さん
いや、そうなんですね。今まで話したことないんですが、その後、たいへんなことがあった、北別府が1対0で負けた後に。その日のゲームの後にわたしがレガース(防具)をはずしていたら、江夏豊 さんがちょうど解説で来られていたんです。ダーッと降りてきて、江夏さんにめちゃくちゃ怒られました。

「タツ、おまえ、何回言うたらわかるんか。おまえ、秋山への配球言うてみろ」って言うから、「はい。初球、スライダーです」。「2打席目」「初球、スライダーです」「3打席目」「初球、スライダーです」「4打席目」「初球、スライダーです」。で、初球をホームラン打たれて、1対0で負けたんですよ。

「あれほど初球の入り方を気をつけろと言ったろう。おまえ、4球続けるのはいいが、なんでボールから入らんのか」と、えらく怒られてしまって。「すいません」って、半分泣きそうなかったですよ。それが、佐々岡の次につながる。