今もカラダには被爆のあと「原爆にあったことを隠したことはない」
(4歳で被爆した水野秋恵さん)
「扉という扉が全部開いて、窓ガラスが割れて、家がぺちゃんこになった記憶がある。隙間から見えた弟が、兵隊に助けられて、頭をけがしているから全身真っ赤になって立っていたのを見た覚えがある」

原爆投下からまもなく78年。今でも…水野さんの体には、“被爆のあと”が残っています。
(4歳で被爆した水野秋恵さん)「切れるというよりも、えぐれている」
(大石邦彦アンカーマン)「縫ったりしましたか?」
(水野秋恵さん)「何もしていない。放っておいてこうなった」
(大石邦彦アンカーマン)「そうか。あの混乱期の中で、病院に行って…というようなことはなかった」


飛び散ったガラスは、20年近く、左の頬に埋まったままになっていました。それでも、水野さんは、この傷跡を周りに隠すことはしませんでした。
(4歳で被爆した水野秋恵さん)
「『そのけがどうしたの』って小学校で聞かれるでしょ、やっぱり。『ヒロシマにいたから原爆で…』って言って。だから、原爆にあったことを隠したことはない」

被爆地・広島で初めて開催されたG7広島サミット。「核を持つ」国のトップもやってきました。

(大石邦彦アンカーマン)「G7サミットが開催されます、このことについては?」
(4歳で被爆した水野秋恵さん)「大きな期待はあまりしていません。G7の中に3か国、原爆もった国があって、(その国に)依存している国がある、日本含めて。そういう中では核廃絶は難しい」

(大石邦彦アンカーマン)「僕が驚いたのは、広島でサミットが開催されても、大きな期待感はないというのが…」
(水野秋恵さん)「広島の人も頑張って、首脳に話をしていると思います…なかなかね(核廃絶への道は)ひらけないな…」

被爆地、広島でのG7サミット。「核」と平和のあり方を、世界に問いかけることはできるでしょうか。