1941年の「金属回収令」で、全国の寺の釣鐘は東京の鉄工所に持ち込まれました。
終戦後、鉄工所は必要のなくなった鐘を“コメ”と交換。その中で、鉄工所と縁があった石川県の以覚寺も他のお寺と同様に鐘を供出して困っていたことを知り、鐘を寄付していました。

その鐘が「万因寺の鐘」だったのです。

この経緯は、1991年になって“ひょんなこと”から発覚しました。

【万因寺 高橋速円住職】
「手紙には、台風で鐘楼が倒れた時に梵鐘の内容を調査したら万因寺のものだと分かったと…」

手紙を手にする 万因寺の高橋速円住職


いよいよ鐘の引っ越しの日。
石川県から新潟県へ運び出される様子を、地元の人が見に来ていました。

万因寺の鐘は、石川の人にも慣れ親しまれて愛されていました。

【地元住民】
「長い間親しんだ鐘だから寂しいね」

万因寺では、このたび鐘を返してもらう代わりに、新しい鐘を寄贈することにしています。

【万因寺 高橋速円住職】
「言葉になりませんね…。感慨無量というか、なんていうか、いろいろな“ご縁”でここまで来ているんですよね。ご縁の賜物ですね」

そして…新潟・出雲崎へ。
82年ぶりの帰還、82年ぶりに響く元禄の鐘の音です。

【万因寺 高橋速円住職】
「ようこそご無事で返ってきてくださいました。朴訥とした感じが、200年・300年の重みを感じますね。もう二度とこの場所から出ないで、いついつまでも受け継いでもらえたらありがたいです」

戦争に翻弄された釣鐘がこれからも、出雲崎の地で平和の音を響かせ続けてくれることを願います。