5月のG7広島サミット開催直前に、広島市の高校でかつて演劇部員だった人たちが中心となって朗読劇を上演します。主人公のモデルとなったのは、出演者でもある男性の母親で、廃墟となった広島で「焼け跡に立つ少女」として写真に記録されていました。

広島市立舟入高校の演劇部です。舟入高校の前身・広島市立第一高等女学校は、広島の学校の中で最も多くの生徒が原爆の犠牲になりました。演劇部は、原爆の残酷さや平和の大切さを訴えていこうと、1969年から半世紀以上に渡り原爆劇を上演しています。
東京都に住む 藤井哲伸 さんは、45年前、舟入高校演劇部で部長を務めていました。3月19日、サミット開催の直前に上演する朗読劇「蛍火」のけいこに駆けつけました。

藤井さんは、この朗読劇の発案者の1人です。劇は10歳で被爆した少女の人生を描きます。少女のモデルとなったのが、母の幸子さんです。
原爆資料館本館の入口にある1枚の写真。おぼろげな表情で見つめる少女は、被爆から3日後に新聞記者が撮影した当時10歳の幸子さんです。
1945年8月6日、幸子さんは爆心地から1.2キロ離れた、現在の広島・中区にあった洋食屋兼自宅で被爆しました。
藤井哲伸 さん
「北向きの道路に面した出入り口に背中を向けて、右手をついて座っていた。右側にドアがあって、当時は夏ですから開けっ放しにしていますよね。そこから光が入ってきて、右手と右足首だけ熱線を浴びた」
熱線を浴びた右手は、指がくっつくほど重いやけどでした。
やがて成長した幸子さんは結婚し、藤井さんと妹の2人の子どもに恵まれました。