火の粉は「神の恵み」 クライマックスは…
岐阜市によりますと、「手力の火祭」が始まった時期ははっきりしていません。ただ、1760年代に一時中断し、1805年に復活したと言われていることから、少なくとも「江戸時代中期」には祭りが存在していたと考えられる、ということです。
そのクライマックスは、辺りが暗くなった午後7時。境内に設けられた高さ約20mの滝花火への点火です。
(見物客)「ついた!」
高さおよそ20メートルの「御神灯」に次々と火がつけられます!!

続いて、「滝花火」に点火。およそ20メートルの高さから火の粉のシャワーが、みこしを担ぐ男たちに降り注ぎます。


そして、火の粉のシャワーはみこしに仕掛けられた花火にも点火。


さらに!!手筒花火にも一斉に火がつけられます。

境内に設置された舞台の上での手筒花火。
火の粉を浴びながらも…皆さん、笑顔です!!

祭りのフィナーレには大きな打ち上げ花火が上がり、4年ぶりの火祭は無事終了しました。

(岐南町からの見物客)
「花火がきれいだった」「とにかく楽しかった! やっとコロナから解放された」
アメリカやカナダから来たというこちらのグループも大満足の様子でした。
(アメリカとカナダからの見物客)
「素晴らしい!」「みこしも、舞台も、炎も素晴らしかった!」
