■GRUスパイは帰国していた


水谷は取り調べの最中に、ベラノフがGRUロシア軍参謀本部情報総局の諜報員で、3日前に帰国していたことを知らされ、愕然とする。危機を察して、任期前に緊急帰国してしまったのだ。水谷に何も知らせることなく。

水谷は、収賄や国家公務員法違反で書類送検され、起訴はされなかったものの、懲戒免職となった。懲戒免職処分の説明書にはこう書かれている。

<被処分者は数年前から現在に至るまで、外国政府機関職員と不適切な交際を続け、明らかになっただけでも8回にわたり、計82万円を収受するとともに、飲食の費用を相手方に払わせていた。(中略)公務員倫理に違反するとともに、刑法上の収賄罪を構成する疑いがあり、上司の職務上の命令に違反するなど、内閣官房の官職に対する信用を著しく失墜させる行為である>

以下は筆者と水谷のやりとりである。一部を記載しておく。

筆者:結局、ロシアスパイからいくら受け取ったのですか?

水谷:2か月に1回のペースでロシア大使館員たちと会っていました。もらった金について帳簿はつけていませんでしたが、400万円くらいは受け取ったと思います。ほかにも飲食代の提供を受け、商品券や、様々なプレゼントももらいました。もらったお金はすべて使い果たしてしまおうと決めていて、飲み代に消えていました。使っているうちに、自分の小遣いの枠が大きくなったような気がして、それが普通になってしまいました。それがライフスタイルになってしまったんです。

筆者:お金の対価として機密文書を渡さなきゃ、と思ったのですか?


水谷:5万円を受け取ったら、5万円に相当する分は返したいという気持ち、いや、5万円もらって知らん顔しておけばいい。そんな二つの気持ちが頭の中で交錯していました。これが相手の作戦だったのかもしれません。

筆者:本当にスパイだと気づかなかったのですか?

水谷:私は中国の専門家で、中国のスパイが大使館や国営報道機関の支局にいることは知っていました。恥ずかしいことに、ロシアに関してはそういう認識はなかったのです。いや、そういう意識を遠ざけようとしていたのかもしれません。

筆者:なぜ、ベラノフは帰国してしまったのでしょうか?


水谷:私と接触することが日本の当局にバレた。それをベラノフ側が察知したということです。捜査情報が漏れたと言うことです。そのルートについては、私は誰からもきいていません。
ロシアのスパイについて語った水谷氏(仮名)
水谷の最後の言葉に関して、気になる情報がある。警視庁公安部外事一課がロシアのスパイを摘発しようとすると、着手直前、スパイたちが緊急帰国してしまうケースが相次いでいたのだ。

外事一課のある捜査員は筆者にこう語った。

「警察内部に、ロシア側に捜査情報を流している人物がいたのではないか。そうでなければ、極秘にしている強制捜査を事前に察知できるわけがない」 

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▼竹内明(たけうちめい)
1991年TBS入社。社会部で検察、警察の取材を担当する事件記者に。ニューヨーク支局特派員、政治部外交担当などを務めたのち、「Nスタ」のキャスターに。現在も報道局の片隅に生息している。ノンフィクションライターとしても活動しており、「秘匿捜査~警視庁公安部スパイハンターの真実」「時効捜査~警察庁長官狙撃事件の深層」(いずれも講談社)の著作がある。さらに、スパイ小説家としての裏の顔も持ち、「スリーパー」「マルトク」「背乗り」(いずれも講談社)を発表、現在も執筆活動を続けている。週末は、愛犬のビションフリーゼ(雄)と河川敷を散歩し、現実世界からの逃避を図っている。