豊洲駅前の暗闇でロシア大使館員にもらった現金を数えていた水谷俊夫(仮名)。その様子は警視庁公安部外事一課のスパイハンターたちに目撃されていた。水谷は迫り来る捜査の手にまるで気づいていなかった。金をもらい続け、職場から資料を持ち出して提供した。ロシア人との関係は、もはや抜き差しならぬものとなっていた。水谷は金の奴隷となり、思考能力を失っていた。(全4回の4回目/第1回第2回第3回を読む)

■ソトイチのスパイハンター


外事一課は公安部内では「ソトイチ」と呼ばれる。第四係には精鋭が集められており、「オモテ班」と「ウラ班」に分かれている。オモテの任務はロシアスパイの行動確認。ウラはスパイとそのエージェント(協力者)の秘密接触を暴き、摘発することを任務とする。

スパイハンターたちは尾行対象の動作をすべて秘撮し、会話を秘聴する。家路を急ぐサラリーマン、デート中のカップル、駅前のホームレス、道路作業員、レストランの店員を装いながら狙った獲物を追い続ける。

「『これからは会食を日曜日にしましょう』と言われたときに異変に気付くべきでした。ベラノフはあのときすでに外事一課の動きに気づいていて、日曜日なら尾行が手薄になると判断していたのだと思います。何も知らずに脳天気だったのは私だけでした」

水谷は唇を噛む。

そして、「運命の日」が訪れた。その日、水谷は都内の家を出て、待ち合わせの川崎に向かった。これまでは東京都内のレストランを利用していたのだが、この日ははじめて多摩川の向こう、神奈川県の店を指定された。なぜ、川崎なのだろう。胸騒ぎを覚えながら電車に揺られた。

この日、ソトイチの尾行チームは、川崎の会食場所を事前に知っていた。前回の会食での水谷とベラノフの会話を高性能マイクで秘聴することで、把握していたのだろう。

ソトイチの秘匿尾行は独特だ。尾行チームの先頭を歩く者を入れ替えながら進み、先回りしている次の尾行チームにリレー形式で引き継いでいくのだ。

しかしこの日、ちょっとしたハプニングがあった。ソトイチは、水谷が川崎駅に向かう最短ルート、武蔵小杉経由のJR南武線で川崎駅に向かうコースに尾行チームを配置していた。しかし、水谷は東急池上線を使って蒲田駅経由で向かうという想定外のコースをとったのだ。このため、自宅から背後につけた捜査員が川崎まで追うことになった。

同じ捜査員が背後をつければ、気づかれる可能性がある。だが水谷は尾行されていることなど、夢にも思わなかった。