■「外事一課を舐めるな!」
ベラノフとの待ち合わせは、JR川崎駅から地下街を5分ほど歩いたところにある、京急川崎駅近くの新しい商業ビルだった。5階レストランフロアにある焼肉店。平均予算一人4000円程度の店だ。
水谷はエスカレーターで5階に昇り、10メートルほど歩いたところにある店に入ろうとしたときだった。目の前に、3冊の警察手帳が飛び込んできた。立ちはだかる男たち。その中に見覚えのある顔があった。
「ああ、Sさん…」
「警視庁公安部です。君はここに何をしに来たんだ?」
先頭の年配の男が言った。
「待ち合わせがあって…」
「彼はここには来ないよ。もう帰国したからね。話を聞きたいから一緒に来なさい」
身体捜検を受け、鞄を開けられた。中には、海外ニュースの分析レポートや、内閣情報調査室研究部で有識者から意見聴取をしたときの議事録が入っていた。これは公文書扱いのものだ。持っていた紙袋も開けられた。ベラノフにプレゼントしようと思って持ってきたインスタントコーヒーのセットだった。ロシア人たちは何故か、このインスタントコーヒーを好んだからだ。
この時点で、水谷の頭の中は真っ白になっていた。足下がふらつき、卒倒しそうになった。捜査員に抱えられるように、エレベーターを降りたとき、無数のフラッシュが焚かれた。
「これはマスコミなのか?それとも捜査員なのか…」
もう訳が分からなかった。
捜査車両に乗せられたとき、「キャップ」と呼ばれる捜査員がこう凄んだ。
「警視庁公安部外事一課を舐めるんじゃない。我々は君のことはすべて分かっている。君も責任のある立場なのだからきちんと真実を説明してもらうからな」
「私は個人と個人の付き合いをしていました」
水谷は、リモノフが言っていた台詞で抗弁した。
「ふざけるな!」
キャップに一喝された。
「あんたが国を売るような真似をするとは思わなかったよ。俺は残念でならない」
水谷は高血圧持ちだ。売国奴のように言われて腹が立ち、激しい頭痛を覚えた。ポケットから薬を取り出して、口に運んだ。
「何をするんだ!」
捜査員たちが水谷の体を押さえた。毒薬を飲んで自殺すると思ったのだ。しかし、水谷が飲んだのは血圧の安定剤だった。

















