現地時間のきのう、アメリカに到着した玉城知事。沖縄の基地問題の解決のため県知事がアメリカを訪れるのは、今回で22回目です。歴代の知事たちは、何を訴えてきたのか。その変遷を振り返り玉城知事の訪米を占います。
今から38年前の1985年。最初にアメリカを訪れたのは、保守政党の西銘順治(にしめ じゅんじ)知事。
西銘順治知事(当時)「私たちのお願いに対しまして、特段のご支援、ご協力、ご配慮賜りますよう要請します」
いち県知事が、アメリカの国防長官に直接基地問題を訴えるのは、”異例”のことでした。
西銘知事は在任中2回訪米し、普天間基地の返還を含む基地の整理縮小や実弾射撃演習の廃止などを要請しました。
歴代最多7回に渡ってアメリカを訪れたのは、大田昌秀(おおた まさひで)知事。
大田昌秀知事(当時)「沖縄の人たちの過重な負担を軽減しようということでね、今SACOが懸命になって問題解決にあたっていると」

1995年アメリカ兵による少女暴行事件後は、普天間基地の県内移設は困難だと訴えたほか、在沖アメリカ軍の兵力削減や返還後の跡地利用についても意見を交しました。
稲嶺恵一知事(当時)「国務長官がわざわざ顔を出していただいたということは、いかに沖縄問題が重要な問題だということを十二分に認識を持っていただいたことをひとつ感じた」
2001年、面談前にパウエル国務長官が挨拶するという演出で迎えられたのは、稲嶺恵一知事。普天間基地の代替施設の15年の使用期限などを求めましたが、具体的な回答は得られませんでした。

仲井真弘多知事(当時)「今の辺野古ではとても時間がかかるから、他の県外の他の都道府県に移してもらいたいと」
2011年、2期目の公約だった普天間基地の『県外移設』を訴えたのは、仲井真弘多知事です。4回の訪米のうち、後半の2回は、普天間基地の県外移設を要請しましたが、後に国による辺野古の埋め立てを承認しています。
大城記者「翁長知事がワシントンに到着しました。普天間基地の辺野古移設反対を直接訴えることにしています」

『辺野古移設反対』を掲げて当選した翁長雄志(おなが たけし)知事は、就任後毎年、アメリカを訪問。ワシントン事務所を設置し、アメリカ政府などへの働きかけを強化しましたが―
翁長雄志知事(当時)「どの立場からしても、辺野古唯一を崩してどこにもっていくという実現性の可能性について、意見としてはあったが、なかなか厳しいというものを感じた」

アメリカ側は、普天間基地の辺野古移設について「日本国内の問題だ」として取り合いませんでした。
玉城知事「県民の意見をこれは日本国内の問題だとはねつけるのでは、基地を運用する当事者としての責任を放棄していると言わざるを得えません」
2019年、県民投票による辺野古移設反対の民意を引っ提げて訪米した現職の玉城知事。就任直後と合わせ2回の訪米では、軟弱地盤の存在が明らかになり、辺野古の工期が伸びたことや沖縄の基地負担の現状を訴え、世論の喚起を図りました。

こうした歴代知事の訪米による成果として、県は『県道104号線越え実弾演習の本土移転』や『グアム移転による海兵隊の削減』などをあげています。
そんな中、県知事の訪米をめぐっては、2015年の翁長知事の訪米から”ある変化”が見られます。

西銘知事から仲井真知事までは、国務長官や国防長官など、トップが対応していましたが、翁長知事以降、国務省は日本部長、国防総省は日本部長代行などに留まっています。
県は今回も外務省を通じて、アメリカ側に日本政府の局長級にあたる『次官補』以上との面談を求めましたが、実現しませんでした。
外務省は「アメリカ側の日程の都合」だと説明しています。

玉城知事「いわゆる安保関連3文書や2+2の共同発表で、示された沖縄をめぐる状況を考慮するとこのタイミングを捉え県の実情や考えを直接伝えることに大変意義がある」
今月3日、会見で訪米の意義を強調した玉城知事。今回はどんな成果が上げられるのか、3回目の訪米活動が本格的に始まります。