一家全員で家ごと流され湾内漂流も生還

阿部晃成さん:
「ここでもだめじゃん、ここでもだめだわと思った」

一家全員で建物の屋根の上に避難。建物は引き波で雄勝湾まで流されるとしばらくの間、湾内を漂流しました。津波の後に雪が降り、屋根の上は、厳しい寒さだったと言います。

辺りが暗くなり始めた午後5時頃。同じく湾内を漂流していた無人の漁船が奇跡的に建物に接岸。阿部さんたちは、全員で漁船に飛び移りエンジンルームの中で体を寄せ合いながら一夜を過ごしました。それでも命の危険を感じるほどの寒さだったといいます。

阿部晃成さん
「奥歯がガタガタして、でも15分くらいすると震えに休憩が入る。ふっと力が抜けてそこで眠くなって意識が遠のいてくる。眠りそうになると頭を叩き合いながら過ごした」

夜が明けると周りに浮いていたがれきをオールの代わりにして漁船を漕ぎ、岸までたどり着きました。2011年3月12日午前8時。湾内を漂流し始めてから17時間近くが経っていました。雄勝湾にはほかにも阿部さんたちのように屋根の上で漂流した人たちがいましたが、夜の極寒で命を落とした人が少なくありませんでした。

阿部晃成さん:
「お互い『がんばっぺし』と声をかけあって、でも同じ様に雄勝で漂流して助かった人はほとんどいなかった。多くの方がその後に亡くなられたので、そこは割り切れない気持ちが今でもある」

その後、動き出した復興のまちづくりに関わるようになりました。