ロシアによるウクライナ侵攻から1年。まだ終戦は見えません。日本にも多くの人々が避難してきている中、関西に避難してきた家族の今を取材しました。

大阪・堺市で暮らすアンサニーさん一家の生活

 夕方、ランドセルを背負って帰ってきた女の子。ウクライナからやってきた9歳のアンサリー・アニータさんです。大阪府堺市の小学校に通っています。

 (母・リュボフさん)「きょうは何食べたの?全部食べられた?」
 (娘・アニータさん)「うん。食べられた」

 アンサリーさん一家は、母・リュボフさん(48)、父・メケジーさん(43)、長男・ラミンさん(16)、次女・アニータさんの4人で首都・キーウで暮らしていました。しかし軍事侵攻で生活は一変します。

 (母 リュボフさん)
 「最初は何もわからくて、ウクライナに残ろうと思っていました。でもその後、恐怖感を感じてきました」

 (父 メケジーさん)
 「子どもたちがロケットの音を聞いたりするようになって、とても危険な状態でした。なので避難することを決めました」

 自宅付近の集合住宅や店舗は空爆を受けました。一家は去年3月にキーウを出て、ヨーロッパ各地を転々と避難。去年7月にウクライナ人の知人を頼り大阪府堺市へとやってきました。

 メケジーさんとリュボフさん、そして長男のラミンさんの3人は、去年10月から回転ずしチェーン「くら寿司」の加工場で働いています。

 (メケジーさん)
 「2~3か月働いたので慣れました」

 くら寿司は堺市から一家のことを聞き、職場への受け入れを決めました。

 (くら寿司・大阪センター 小中太郎マネージャー)
 「インターネットとか整備してタブレットで翻訳しながら。最近は本当に慣れてきたのでかなり通じる」

 軍事侵攻から1年。出入国在留管理庁によりますと、2月15日時点で日本にいるウクライナからの避難民は2185人で、避難生活は長期化しています。アンサリーさん一家が生活する堺市にも、去年4月以降11世帯21人が避難してきましたが、帰国した人はいません。

 (堺市国際課 永野貴之課長)
 「日本での生活が長くなるということになりますので、日本語の習得、それからやはり仕事・就労というところが本当に重要になってくるかなと考えています」