ウクライナには去年の侵攻開始時に現地で取材にあたっていた増尾記者がいます。1年経った今、感じることはなんでしょうか。

ここはキーウ中心部にある独立広場です。はためくウクライナ国旗には、軍事侵攻以降、命を落とした人たちの名前や遺族らのメッセージが書かれています。

私は侵攻当時、ここキーウから侵攻開始を伝え、その後も取材を続けてきましたが、訪れるたびに、この国旗の数が増えていることに気がつかされます。

去年2月以降、8006人の市民と1万人を超えるウクライナ兵が犠牲になりました。

当時、私がキーウで取材しているときは、かなりの人が国外や西へと避難し、この通りからは人の姿がなくなりましたが、1年経った今、徐々に市民が戻ってきています。

ここを歩く1人1人に、この1年間それぞれの憤りや悲しみがあったはずです。

ただ、ここに住む方々に話を聞きますと、皆さん口々に「ここで日々の暮らしを営むことが、自分たちにできるロシアへの抵抗なんだ」と話します。

ロシアが攻撃を加えれば加えるほど、ウクライナの人々のそうした「抗う意思」は強固なものになっていると感じます。