現在、日本には大勢のウクライナ避難民が暮らしています。その人数は2185人。みなさん、様々な思いや複雑な事情を抱えながら生活しています。そんな中、ウクライナからやってきて大阪で暮らすある家族。キーウに残る妊娠中の娘のことを心配しています。
「くら寿司」の加工場で働く避難民一家
夕方、ランドセルを背負って帰ってきたのはウクライナからやってきたアンサリー・アニータさん(9)です。大阪府堺市の小学校に通っています。
(母・リュボフさん)「(給食は)きょう何を食べたの?全部食べられた?」
(アニータさん)「うん、食べられた」
アンサリーさん一家は、母・リュボフさん(48)、父・メケジーさん(43)、長男・ラミンさん(16)、次女・アニータさんの4人で首都・キーウで暮らしていました。しかし軍事侵攻で生活は一変します。自宅付近の集合住宅や店舗は空爆を受けました。
(母 リュボフさん)
「最初は何もわからなくて、ウクライナに残ろうと思っていました。でもその後、恐怖を感じてきました」
(父 メケジーさん)
「子どもたちがミサイルの音を聞いたりするようになって、とても危険な状態でした。なので避難することを決めました」
一家は去年3月にキーウを出て、ヨーロッパ各地を点々と避難。去年7月にウクライナ人の知人を頼り堺市へとやってきました。メケジーさん・リュボフさん・ラミンさんの3人は、去年10月から回転ずしチェーン「くら寿司」の加工場で働いています。くら寿司は堺市から一家のことを聞き、職場への受け入れを決めました。
(メケジーさん)
「2~3か月働いたので慣れました」
(くら寿司・大阪センター 小中太郎マネージャー)
「インターネットとかを整備してタブレットで翻訳しながら。最近は本当に慣れてきたのでかなり通じる」