長野市長を16年務め長野オリンピックの開催などに尽力した塚田佐(つかだ・たすく)さんが22日、亡くなりました。86歳でした。


(塚田佐さん)「五輪は長野にとっては、一度のチャンス、世界最大のイベント、世界にアピールするものをもってゆきたい、将来印象に残る素晴らしい大会に、手作りで進めてゆきたい」

オリンピックへの夢を語り続けていた塚田さんは、長野市議や県議会議員を務めた後、1985年10月に行われた長野市長選挙で初当選。

2001年まで4期16年にわたって、長野市長を務めました。

市長在任中の最も大きなイベントは、1998年に開催された長野冬季オリンピックです。

国内候補地一本化を勝ち取った長野市は、1991年のイギリス・バーミンガム総会で札幌に次いで国内2度目となる冬季五輪開催地に選ばれました。

オリンピック決定後長野市では競技施設や高速交通網などのインフラ整備が進められました。

冬季五輪史上最多となった72か国・地域が参加した1998年の長野冬季オリンピックでは、開催都市の市長として、大会運営を支えました。

また、塚田さんが市長在任中に大きく動き出した事業としては、長野駅東口の再開発があります。

戦後、無秩序に住宅地などが広がり、都市計画上、1960年代からの懸案となっていた駅東口について市長就任後、整備の必要性を改めて表明。

58ヘクタールという広い面積の区画整理事業は、オリンピック開催もにらみながら、着工から30年近く、構想からは半世紀を経て塚田市長を含め3代の市長によって、2020年にようやく整備が終了しました。

長野オリンピックで聖火を点火した元フィギュアスケート 選手の伊藤みどりさんは取材に「心よりお悔やみ申し上げます」と答えました。

塚田さんはすい臓がんのため、1月から長野市内の病院に入院していたということです。