蜷川新右衛門は幕府のスーパーエリート…

最勝寺 谷内良徹和尚:
「こちらに蜷川氏の代々のお位牌が並んでございまして」

谷内良徹(たにうち・りょうてつ)和尚によりますと鎌倉時代、源頼朝に仕えていた宮道親直(みやじ・ちかなお)が、京都から越中蜷川に移り住み、姓を蜷川に改めたのが蜷川氏の始まりとされていて、蜷川氏代々の菩提寺として建立されたのがこの最勝寺と伝えられています。

最勝寺 谷内良徹和尚:
「数えて8代目に当たるのが蜷川新右衛門さんのモデルになったと言われている蜷川親当(ちかまさ)公」

記者:
「新右衛門さんは蜷川氏の8代目で名前が親当(ちかまさ)っていうんですね」

最勝寺 谷内良徹和尚:「そうですね」

最勝寺に残る蜷川氏の家系図には、親当の横に新右衛門の文字がありました。新右衛門は名前ではなく、蜷川氏の当主が代々名乗った通称。蜷川氏は代々幕府の要職を歴任してきた政治家の家系で、親当もその1人だそうです。

最勝寺 谷内良徹和尚:
「国政で言うと大臣、官房長官」

記者:
「現代で言うと総理の側近というか、そんなに偉い人なんですか」

最勝寺 谷内良徹和尚:
「そうですね。スーパー官僚って感じでしょうかね」

親当は歌人としての横顔もあったといわれ、寺には直筆の和歌も残されています。

記者:
「武士の新右衛門さん(親当)がなぜ歌を書いたりしたのでしょうか」

最勝寺 谷内良徹和尚:
「武士というと、われわれは常に刀を振り回してる野蛮なイメージがあるかもしれませんけど、武芸だけではなくて文武両道と申しますか、知識と教養のもと身体と心もちゃんと鍛えていた方ではないかなと」

新右衛門さんは一休さんのモデルになった僧侶、一休禅師と親交が深く、境内には一休禅師が背中に一句記したという汗かき地蔵も残されています。

こうしたエピソードがアニメにつながっているのではないかと考えられています。