9月うるま市で発生した事故で重体となっていたパラリンピックのメダリスト上与那原寛和選手が26日亡くなりました。
車いす陸上に人生をささげた上与那原寛和さん。「バルさん」の愛称で多くの人に親しまれました。
28歳のとき交通事故で車いす生活となった上与那原さんが初めてパラリンピックに出場したのは2008年の北京大会、37歳のとき。車いすマラソンで日本記録を打ち立て銀メダルを獲得し、自身1回目の県民栄誉賞が贈られました。
上与那原寛和 選手(当時37歳):
「本当に皆の力があってこの銀メダルというのが取れたと思うので、本当にこの場を借りてあいさつできるのはありがたいことです」
「家にいると何も見つからないので、まずは好奇心で何でも触ってみる、そういったものから始めてどんどん前に出ていけると思いますので」
見せ続けたのは、あきらめない挑戦する姿勢。
自身の障がいクラスの車いすマラソンが、パラリンピック種目から外れるとトラック種目で、メダル獲得に挑戦。
コロナ禍で東京大会が1年延期となってもその姿勢は変わりませんでした。
上与那原 選手(当時50歳):
「大変な中での開催になるので、熱い走りをして、一人一人があきらめない姿っていうんですかね。ある意味、すごく大きな伝える役割を持っているものではないかなと思いますね」
「まだ銅メダルなので上にまだ2つあるじゃないですか、ちょっとそこをまたつかみ取りに行けるように、楽しみながらやっていきたいと思います。戦えるうちは頑張りたいと思います」
上与那原 選手(当時52歳):
「今までやってきたものからさらに良いものを取り入れて。データ測定をして何がいいんだろう、いろんな解析をしていただいて」
あくなき探究心は50代となっても衰えることはなく子どもたちや若い世代へ、メッセージを発信し続けました。
「まずはやっぱり自分で決めて目標を絶対クリアしてほしいなっていう気持ちと、一歩進む勇気、諦めない気持ちを伝えたい」
「チャンスがある限りはトライしていきます。チャレンジしていくしかないですね。全力でいきます」
次世代へあきらめない気持ちを伝え続けたバルさん、生涯アスリートであり続けた55歳の人生でした。














