父の涙と 奪われた未来
両親はそんな中で残された双子にですね、やっぱり心配させないようにと思って、涙を流したり大きな声を上げたりってことはありませんでした。一度もなかったわけなんですけれども。
一度だけ私が、お風呂に入ろうと思って引き戸を開けて入った時に、父が私に背中を向けて、頭にお湯をかけながらですね、泣いてる声を押し殺しながら泣いていたこと、今でも覚えています。
普段の中では泣いていないんだという弱さを子供に見せないためなんですけれども、自分が泣いていないっていうこと自分自身に言い聞かせながら泣いていた姿を見たときに、この時も本当に父が可哀想でならなかった。
何でこんな思いをしなくてはいけないのかなというふうに思いました。
もしめぐみにですね、めぐみ以外の拉致被害者も同じことが言えますけれども、この拉致事件が起きていなければ、どれだけ豊かな社会貢献や自己実現ができたのかなってことを思います。
私は普段サラリーマンで働いてますってことを冒頭申し上げましたけれども、仕事きっちりしつつもですね、やはりめぐみと同じ年ぐらいの女性を見ると、こうしてバリバリ仕事できたんじゃないかなってこといつも思いますし、もしくは修学旅行の時期とか、もしくは週末になるとジャージを着た女の子たちのクラブの集まりや、制服を着てこれから空港から出発するような目をキラキラさせた子供たちを見ると、こんな当たり前の生活があったんじゃないかなってことをいつもダブらせて見ています。
公園で見る家族連れの笑い声とか、こうした当たり前のことを奪われたわけです。
両親の立場からすると、娘の成長や孫と楽しむ時間も一切奪われて、全員の関与してる人間が苦しい思いをして戦ってるわけであります。














