イデオロギー闘争が職員室にもくすぶった時代
2人が勤務していた小学校には、千佳子さんが殺された1978年当時、およそ1500人の児童と50人の教職員がいました。
70年安保の直後、イデオロギー闘争が職員室にもくすぶっていて、千佳子さんの先輩で元教諭の女性(82歳)は、組合活動が盛んだったと振り返ります。
「組合が強い学校でしたから『浅間山荘事件』がテレビで映っていたとき、警察ではなく、向こうの赤軍派を応援している先生もいました」
その時、男が感じていた職場の空気は、「陳述書」に次のように記されていました。
「ある日、組合の上の人が、一口450円の寄付を求めに来ました。私は『特定の政党はどうも好きになれないので』と言うと、その人は『はっきり断ったな』と言い捨てて、出て行きました。その様子を見て私は、これから嫌がらせでもしにくるのではないかと思っていましたが、案の定、翌朝からほぼ全員の先生が私を無視するようになりました」
男は陳述書で、この出来事を境に教職員と男の間に深い溝を感じ、身構えるようになったと説明しています。
一方、千佳子さんの先輩で当時、教職員組合に加入していた女性(69歳)は、「確かに組合員は多かったが、組合員になるも、ならないも、その本人の意思ですから、本来の組合として意見を言うこともありました。ただ日々の仕事で組合員であるかないかで、いさかいを起こしていたら学校経営はできません」と話しています。
そして、警備員の男と教職員の間で溝が深まりつつあったその時、事件が起きました。
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