大相撲の幕内最年少21歳で、125kgと小兵の藤ノ川が、13日初日の秋場所(東京・国技館)で新三役に昇進した。小結を飛び越えて関脇に座る。京都府出身力士としては江戸時代1828(文政11)年の緋縅(ひおどし)以来、198年ぶりの新三役、新関脇。初土俵から所用22場所での新関脇は、年6場所制が定着した1958(昭和33)年以降で、幕下付け出しを除いて歴代10位のスピード出世になる。

国技館の記者クラブで行われた番付発表の記者会見。晴れやかな薄い黄色の着物姿で現れた若武者は、「入門した時は上がれるとは思っていなかった。嬉しい」と笑顔。また一つ、大きくなった番付のしこ名に喜びを語った。先場所は東前頭筆頭で8勝7敗。14日目、千秋楽と連勝して勝ち越した。名古屋場所は4関脇だったが、12勝で優勝した安青錦(21)が大関に復帰し、琴勝峰(27)が負け越し。夏場所優勝した若隆景(31)が左足手術で全休したため、残ったのは優勝決定ともえ戦まで進んだ熱海富士(24)1人。西の関脇が空いて、小結だった義ノ富士(25)、王鵬(26)の2人も負け越した。「番付運がよかった。みんなこの場所は小結だと思っていたみたいで朝、起きたらラインとか、メッセージが来ていた。三役は今年の目標だったが、思っていたよりも早かった」

平幕から勝ち越し一つでの昇進は確かに運もあるが、8勝の中に両横綱を撃破した二つの金星があるのが大きかったのだろう。初の殊勲賞も獲得して、前頭3枚目で勝ち越し三つの伯乃富士(23)や、同4枚目で勝ち越し五つの大栄翔(32)を抑えた(2人はともに小結に昇進)。これで横綱戦は初顔合わせから4連勝となり、31(昭和6)年の武蔵山(後の横綱)以来、4人目の快挙を達成した。

「体が小さい分、気持ちで負けないようにしている。どんな相手にも負けたくないという気持ちだけ。元々、負けず嫌い。悔しくなくなったら終わりだと思ってやってきた。本場所で負けてからの帰り道が嫌いなんです。勝って帰ると、ご飯の味が違う。全然、美味い」。屈託なく笑った。

その言葉を証明するような名古屋場所の横綱戦2番だった。まずは2日目の大の里(26)戦だ。気迫十分で正面からぶつかった。差し手争いで相手得意の右差しを許して出られたが、土俵際で左から瞬時の突き落としが決まる。身長で13cm、体重で63kg大きい相手を土俵上で横転させた。座布団が舞い、50本を超える懸賞を手にした藤ノ川は「めちゃくちゃ嬉しいっす」。横綱戦3連勝は「黒船」と言われたあの小錦が84(昭和59)年に隆の里、千代の富士、北の湖を破って以来のことだ。

その興奮冷めやらぬ翌3日目。今度は豊昇龍(27)をまたも突き落としで破った。横綱のかち上げからの両手突きで一気に後退したが、土俵際を右足一本で残し、左足を大きく浮かせたまま体をひねって今度は右からの逆転。連日、結びの一番での波乱を演出し、名古屋のファンを熱狂させた。この日も50本近い懸賞を受け取り、上機嫌。「きのうは沖縄料理を食べにいったけど、きょうは焼き肉ですね」。

根底にあるのは、勝負をあきらめない強い気持ちだが、それを支えているのが、おそらく今の角界で一番だろうと思われる手を抜かない稽古だ。普段から常に全力。稽古場でも俵に詰まっても最後まで反撃を試みる。残念ながら、そういう稽古をする力士が今は本当に少ない。

伊勢ノ海部屋で指導する元関脇勢の春日山親方が褒めちぎる。「稽古場通り。全力で力を出し切る姿がそのままなんです。限界を超えないと力はついてこない。ぶつかり稽古もきつくなってから1本、2本と繰りかえしていく。それを人一倍やっている。そこで脊髄反射のような無意識の動きが出来るようになってくる。頭で考えてからでは体は動かない。反応しないんですよ」。

本人も活躍の根底を支える稽古には思い入れがある。「自分より強い人とやって力をつけていかないと。(稽古場では)思いっきり前に出る。体が小さいのであまり多く番数は取れないが、一番、一番に力を込める」。強い相手を求めて他の部屋への出稽古も多い。あの安青錦も「稽古場で最後まで力を抜かないでやってくれるから」と藤ノ川との稽古を重要視しているほどだ。

平成に入ってからは「場所相撲」と言われる、稽古場では本来の力を出さずに本場所でのみ全力を出す力士が増えた。だが、稽古場で出来ないことは本場所ではできないのは必定だ。角界には「稽古場は本場所のように、本場所は稽古場のように」との大横綱双葉山の残した格言があるが、まさにその教えに従っている感じがする。

故郷の古都・京都は、江戸時代には今の東京、大阪と並ぶ勧進相撲が行われていた土地柄。だが、三役力士は約2世紀ぶりの誕生となる。その年は、ドイツに帰国しようとした外国人医師が当時国外への持ち出しを禁止されていた日本地図を持ち出そうとしたシーボルト事件が起き、虫や小動物の小さな命を題材にした俳人、小林一茶が死去。明治維新の英雄、西郷隆盛が鹿児島で生まれている。京都出身の先輩三役、緋縅はその後、大関まで昇進した。「198年ぶりは、部屋のマネジャーから言われて、『そうなんだ』という気持ち。大関は、今は関脇に上がったばかりで、そういう意識はない」と苦笑いだ。

相撲一家の長男で、父の甲山親方は元幕内大碇。次男碇潟(19)が十両目前の西幕下4枚目におり、三男は埼玉栄高相撲部。将来は家族4人が、伊勢ノ海部屋に集うことになりそうだ。藤ノ川は、「父からは(新三役昇進には)特には何も言われていないが、『部屋のパーティーで使うから色紙を用意しておけ』と言われました」という。

自らもワクワクした気持ちで待つ秋場所の初日。「応援してくれる人も増えているので、頑張ります。お客さんの喜ぶ相撲を目指していきたい」と抱負を話す。中でも一番の楽しみは、初日と千秋楽にある八角理事長(元横綱北勝海)の協会挨拶に、勢ぞろいの役力士として土俵にあがることだと明かした。「三役に上がったら、それが出来ると思っていた」。

さらに相撲を志す体の小さい子どもたちへのエールを求められると、「自分もなかなか勝てない時があった。『小さいから負けてもしょうがない』と思わないこと。小さくても、大きい相手に勝てるんだ、ということを(自分が)証明していきたい」との言葉を送った。

関脇の活躍する本場所は面白いといわれる。大関昇進を目指す巨漢の熱海富士が前に出る馬力で勝負するなら、活きの良い小兵の藤ノ川はスピードある動きと勝負勘で土俵を熱くする。(竹園隆浩/スポーツライター)